マインドコントロールは東に位置するのか。

『最低限の入れ知恵と、新鮮なトマトだけを、どうにか西に……』
 悪名高い黒い人間の、ただ一つの錠剤まみれな言葉がローデンの頭の中で反響する。ローデンはそれに嫌気がさして、自慢の椅子の背もたれに体を預ける。鼻をひくひくとさせると血の臭いを感じることができ、それで正気を保つ。まるで貧乏な中毒者のやり方だったが、ローデンはそんなやり方にとても満足をしている。瞳を閉じると、どこにでも波が目立っている過去が見える。穏やかでも良い物でもないが、退屈ではなかった過去。出来事をたどって笑みが浮かぶが、そんなことをしているとすぐに、おぼろげな過去は濡れた紙のようにボロボロに崩れていく……。
 彼女はほかの媒体を気に入ってはいなかった。子供が大人を嫌うような素振りを続けていた。もし目の前の他の媒体が現れると、まるで子供のオモチャ遊びのように、とても雑に扱う。こことは全く違う地方の風習ですら彼女のことを収めるのには失敗しているので、誰もが金銭の支柱を舐め回していた。彼女はすでに狼藉者としての人生を終え、残りは体が朽ちて行くだけだったが、最後の一瞬までの全てを一人でこなすことを誓っていた。まるで切れ味の無いナイフのように、静かに椅子に座ることを目的としていた。
 ローデンは椅子から立ち上がると、空に向かって両腕を広げ、自分がY字になったと思い込んだ。
「ああ! 全ての方位が東になればいい!」

■罪滅ぼしとは、大都会よりも硬質だ。
「ねえ、どうしてもダメなの? マルチメディアには避けて通るように言っておくけど?」少年は男に、水分の多い水あめのような猫なで声で甘えていた。
「駄目だ。アンタはどこまで行っても、ただの野良犬にしかなれねぇよ」そして男は笑い出した。控え目な笑いだったが、それでも両肩をがたがたと揺らしながら、声をしっかりと出して笑っていた。空き缶を潰す時の、カラカラ、コロコロという音にそっくりな声だった。
「なら岬に帰るよ」
「ああ、そうするといいさ。目的も無しに、こんな所に来るもんじゃない」真っ向勝負が苦手な老人のようでもあり、マットレスの上で大胸筋をこすり合わせている不気味な体育教師のようでもあった。
 男は去り行く少年の小さな背に手を振った。涼しいはずなのに、夕焼けに照らされている時と同様の暑さが顔全体に張り付いていた。下半身のテントは比較的、冷蔵庫内の雰囲気を保っていた。男はとにかくだらしのない素振りだったが、ようやく面倒くさい人間が消えてくれたと安堵していた。「だって、おれのようなコートをひっぱたくなんて、まだ早いだろう?」
 男は自分の文言が正しいことを理解していた。
 少年が見えなくなると、男は素早く後ろを向いた。とくに何もなかったが、確かに男は自分の背中に気配を感じたので、その場からすぐに移動を開始した。規則正しい歩行を繰り返すと、たちまち頭の中が高速で回転していき、脳が現実とは全く関係のない妄想を思考し始める。男の頭の中にあるホルンという少女は金髪をツインテールにしていて、明るい性格の持ち主。ホルンは毎日クラスメイトの愉快な奴らの真似をしていた。笑顔で、率先して埃だらけの床に寝転がりると、まず両足をピンと伸ばし、両腕は体に対して垂直になるように左右に伸ばす。十字架と同じ形を体でつくった。完成した頃にはホルンの周りに別のクラスメイトたちが集まっていて、それらの珍しいものを見る目がホルンは好きだった。得意げな顔で自分はいま十字架のであることをクラスメイトたちに告げると、そのまま架空の神をたたえている架空の宗教の歌を歌いだしていた……。
 男は最初から味の無い風船ガムを噛んでいた時のことを鮮明に思い出し、その思い出によって妄想をかき消しながら、噴水の煩わしい水飛沫に顔をしかめつつ歩く。ブーツのこつこつという音に自律神経がかき乱されていくのを楽しく客観していくと、いつの間にか人の群れからはずいぶん離れた、静かな土地に来ていた。辺りを見渡しても古臭い木製の小屋しか建っておらず、まるで寂しげな人間の心の中だなと男は思い、仕方がなく周りを注意深く観察していく。
 緑の無い草が生えている平地。その中に平然と立ち並ぶ小屋の一つを、何も考えずに男は注視する。余計な思考は目の前の物体を正確にとらえることができなくなる。だから両目を凝らして、十メートル以上は離れている小屋をよく見る。乾いた茶色いドアからは視覚的に香ばしさを感じ、そのすぐ横の全面には『花鳥風月』と書かれていた。まるで色とりどりなお祭り騒ぎをシュッと凝縮したような派手な色彩で、スプレーで描かれたことは一目瞭然だった。
 男はすでに小屋に向けて足をゆっくりと進めていたが、その花鳥風月を目に入れると、どうしてか足が止まってしまう。まるで花鳥風月にこっちにはくるなと言われているような感覚で、最大限の力を脚部の筋肉に込めたとしても、足は少しも動かなかった。男の唇が紫色になると、さらに眼球の瞳が赤色になった。額から頬の曲線にまで流れる汗が地面に落ちると、無事に土の茶色を濃く彩った。男はすでに放尿をしてしまった後のような湿っぽさを感じていたが、相変わらず足は動かない。立ち去ろうとして足を後方に向けると、今度は唇が緑色に変わっていく。
 人間の生首の中を全てくり抜いて、酒を呑むための瓶にしている。
 男は自身の脊髄の中により近づくと、近くに放置された丸椅子にある扇子を蹴とばして、自らの中にある争いへの興味心をトマトのように上から潰した。

■体勢リストを取り戻せ。
「私は破滅主義ではない。そんなモノは噂に過ぎないんだ」彼は優雅であると同時に老人でもあった。「また、極端な風向きでは身動きができない」
「そうして、まるで田舎の渓谷にあるカラオケボックスにお金を入れるように、あるいは地獄か、それに準ずる針山の巨大さに戦慄してしまう旅人のような気概で僕が教室のような室内に足を踏み入れると、その瞬間に音楽が流れだすんだ。少し前の時代に流行ったような、仰々しくておおらかな曲が流れる。蓄音機なんかはどこにも見当たらないけど、とにかくその曲は、空気と混ざって流れている。僕の耳に入り込んでくる。すると僕はとても楽しくなってきて、笑顔で室内の中央まで歩くんだ。なんだか体が浮かんでいるような気持ちだった……目に映るものが全部、本当は現実ではないような気がしていたけれど、とにかく楽しかったからどうでもよかった。それで、中央にまでたどり着いた僕は踊り始める。踊りなんて全然知らなかったけれど、曲に身を任せると体が勝手に動き出すんだ。流れるプールに体を預けると、そのまま流れに沿って体が浮かんで動くのと同じで、その時の僕は曲に流されていたんだ。片足を天井にまで上げながら、もう片足で体を回転させたり、目を見開いたり瞑ったりして踊っていると、曲も終盤になっていく。その時にふと目を開けると、そこはすでにトイレの中だったんだ」
 少年はすでに内臓の口調になっていた。何枚もの衣服に守られた尻は人糞でぐちゃぐちゃになっていて、辺りには鼻孔を貫く異臭が舞っていた。
「楽しかったなあ……」少年は歯列が見える笑みを浮かべている。その瞳は完全に加虐者だった。
 空調よりもよほど電気効率のいい仕事が見つかると、手に持っていたはずの冊子を口に詰め込んで、唾液で溶かして咀嚼しながら、「ああ、僕はきっと感謝をするよ!」と大きく駆けていった。その先はいずれも架空の列が成されているロッカールームではあったが、身近に存在している看守や見張りの人間だけに合鍵を渡す上官なんてものは存在していない。
「やつは盛大なロリータ・コンプレックスなんだ!」上官が全ての看守に怒声を浴びせると、看守たちは弾けるように飛び上がり、さっさと迷路のような長い監獄の中を駆け巡る。風が風を切り、看守たちが履いている黒い革靴が床をたたく音が鳴り響く現場には、戦慄ですら許さない雰囲気が漂い、必ず脱走兵を捕まえてやるぞという全ての職員の生きがいが見て取れた。
「ええ、彼はどうしようもなく便器を舐めていましてね。でも、他人の尿や……その、大便が口に付着するのを嫌っていたんですよ」新聞記者からのインタビューに応じているふくよかな長官は、指でコーヒー豆をいじっていた。
「だから、僕は言ったんです。そんなことで掃除役が務まるのかって、そうしたらアイツは……ああ、その辺に落ちている他人の大便の欠片を拾い上げて、僕の口に突っ込んできたんです。まるで鬼のような顔つきでした」
「殺されるかと思った?」
「ええ? 殺される? それはありませんよ。だって、こっちは何もしていないんですもの。……とにかく話を戻しますと。大便欠片を口に入れられた僕は、そのまま嘔吐と一緒にアイツの口に大便欠片を吹きかけたんです。そうしたら、ついにアイツは怒り出して、もうこんな場所やめてやる、と叫びながら走り去っていったんです」
「それでこんなありさまなんですねえ?」新聞記者はあたりを見渡した。ここは長官室だというのに、天井は全壊、壁も七割ほどが剥がれ落ち、周りの廊下や隣の部屋が丸見えだった。「ああ、ひどいありさまだ」
「そうでしょう? アイツはまるで獣です。もはや、手に負えません」

■志願を欠いた者たち。
 ローデンにたずさわっている全ての技術者、および介護施設の従業員は、どうしようもなく汚いパイプ椅子を舐めることに執念を感じていた。透過をしている人権による侵攻が進む中、舌を酷使する彼ら曰く、「とても美味である」であり、脳の形が変形してしまうほどの快感は、やがて身を滅ぼしてしまうことを体で表現している。
「まあ、みんなやってますし。違法ではありませんから」
「ええ。そうです。楽しいですよ」
 どうしてもローデンは、彼ら技術者の四つん這いな醜態を改善したいと考えていた。
「日々睡眠をとるとき、大きな声が箱詰めされるんだ……丸二日はかかるよ」ローデンは未来と過去の亀裂を想いながら、があがあと笑っている囚人のようにブロック食材のパッケージを開いた。何人もの人間が立ち並ぶ橙色の始発が、何十にも度重なると戦が始まる。
「ヤツは駄目だ……麻雀を知らないから」現代では通用しない常套句を、ローデンはさも流行り事のような舌触りの中で発していた。「煙草しか飲みたくは、無い」羞恥心はすでに食されていた。「長い目で見れば、大体のことは愛である」
「私は月の裏にはいけないから」暗闇の店内で、カウチフェチのバーの店員が寂しげに吐き出した。煙草の煙のように空を舞い、そのまま空気の中に消えていく。大変な加虐主義者たちは標的として購入した好みの少年少女らの、美味しそうな眼球をそのまま眼窩から吸い出すように飲み込んでしまう。口づけをするのはいつだって瞼で、その時がくると長い舌を一気に這わせ、じゅるりと唾液の音をさせながら外眼筋を貫いていく。
「特に僕は、これが無いとやっていけないんだ」
 ヨットの帆のような人生を歩んだローデンが、いつでも眼の奥に宿している蝋燭のような温かく未熟な炎。赤色の煙には巨大な銃の巨大なリコイルのように、激しい抗争を求めている水が必要だった。
 土曜日の右にある日差しを見つめると、誰もが音程という概念に疑問を投げかける。相殺をしてくる海の塩分、サービス精神の丁度の良い膨張……。また、現在のローデンの下半身は、しっかりと空気中に晒されている。「ええ! 太陽なので!」それは本人だけが感じている幻覚などではなく、現実の状況として、ローデンという老婆の下半身には一枚の布も着衣されてはいなかった。「それと私は今、とても眠い」

■ローデン・B・サモの重厚な軌跡。
 最北端に位置する牧場。ミーティングを飛び越えた先にある柵に、全精力をつぎ込んだおかげでトンネルが出来上がった。まれにある化膿を避けるように生きてきた後に、牧場の右端で牛乳によく似ている黒い液体の経営をしている老婆のローデンは、非常に冷たい木製テーブルの隅で佇んでいた。近くにあるパイプオルガンと、それを模している入力式テレビ、さらに立方体の冷蔵庫が二つほど。
 ミディアムレアのラジオから流れるのは、新鮮な白色のうなぎに関する科学的な情報だけで、どれだけ待機をしたとしても、風向きに関しての文化的な情報は歩き出さなかった。
「どうして私がアナタを起用したのか知っている?」廃棄処分がすでに完了しているローデン。森の深い位置にある村の村長を気取っている、カーディガンを着込んだローデン。「……アナタはとても細長くて、頑丈で、でも人間らしい……それに最大限、厄介ごとを持ってこないわ。理由が単純すぎて激怒をしてしまう人間も大勢いるだろうけど、私はそういう所が好きなのよ。だって、まるで真珠みたいでしょう?」赤い色のパイプを持っていた。それは親睦会よりも優秀で重要な役割だったが、まるで機能を失っているところを他人の視点から見ると、やはりローデンは昔ながらの夜景を見ることができないらしい。「乱れているわ……」
「相談をしてきた人間の首を、いつでも輪切りにする準備なら完了しているの。ねえウィータ、貴方ならどこまでも飛べるんでしょう?」
 ウィータと呼ばれた蚊の集合体は、すかさずローデンの前で人型実態を作り出す。黒い点が成す人間はハロウィンなんかで注目を浴びることができるほどに十分に不気味だったが、ローデンにはやはり友好的なものに見えていた。
「ああ、貴方は紅茶派だったわね」
「そうですね。でも、どうせ砂糖を入れてしまいますから……」
「とっても残念ねえ……」ローデンは涙を流しながらもスクワットを続ける。
「どうして向こう見ずなのかしら。せんべいですら、もっとしっかりとやってくれるって言うのに……」真実が見えていたが、それもすでに、傷の無い三年ほど前の話だった。まだミカヅキモが宇宙に存在していた時代。落下の重要性が問われていた時代。少し運動をするだけで輝けた時代……。
 排気ガスが重要だとかなんだとかで、ローデンは都会に来ていた。一方でウィータは別の市街地に向かって、重火器を扱っている太っ腹の赤帽子の青年に、今年で最後の懇願を示していた。誠意を見せるための踊りや白濁液被りは苦痛よりも体に付いてしまう臭いの方が気になったが、ウィータはなんとか全てをやり遂げた。「明日からは強力なシャンプーを使う」
 ローデンは都会で、まず服屋に入った。そこは全てが豪華であり金持ちが好みそうな色彩で埋め尽くされていた。天井からぶら下がっている光がシャンデリアであることはローデンも知っていたが、マネキンの頭の上にある醤油瓶の正式名称は知らなかった。
「ねえ、この店で一番安い服と、高い服を見せてくれない?」
「ええ、そんなことをして、何になるんですか?」八丁眉毛な店員の肌は、ローデンには朱肉のような赤色に見えている。そして顔は、空き缶の底のような銀色の円形に見えている。
 あたりが緑色を滲みだしてきた。しかしまだ、光だけはそのままだった。
「見比べるのよ。そうすれば全てがわかるでしょう?」ローデンはずん、と前にでると、店員の顔を鼻で笑った。照明であるシャンデリアの出している光が、ゆったりとセロリのような緑色に変化しているような気がしたが、ローデンは気にせず店員に凄む。
 腐った香水のような匂いが鼻孔を刺激し、脳細胞の一部を完全に破壊された店員は、すでにローデンの言いなりロボットのような存在になっていた。効率の良い足取りでバックヤードにまで戻ると、一番高い服と一番安い服を同時に持ち出し、素早い足取りでローデンの元に帰還した。
「ただいま帰還いたしました! こちら、衣服でございます!」
 右手でビシッと敬礼をすると左腕にぶら下げている二着の衣服をローデンに差し出す。ローデンは満足そうな顔でそれを受け取り、二着の様子をそれぞれ確認した。片方はブラウン色のワンピースで、もう片方は白色のドレス。「ああ、これはどちらも良い布を使っているのね」ローデンはしわくちゃな指で衣服たちを撫でる。ローデンは恍惚の顔だったが、どちらが高くてどちらが安いのかを、見極めてはいなかった。ドレスのくびれの当たる位置に手を添えると、そこだけが硬くなっていることに気が付いた。思い切ってその部分を強く押してみると、その瞬間に向こう岸から、ハンチング帽子を親指で押さえつけながらこちらに走って来る少年が現れた。
「それは二階にある代物だ!」少年はさきほどから直立不動の敬礼の体勢を貫いている店員の脇腹に体当たりを繰り出すと、そのままローデンの方を向き直り、「それは二階の代物だ!」と叫ぶ。ローデンは全くもって身に覚えのない少年の顔を注視し、三秒後にはその中心にハエの死骸が張り付いていることに気が付いた。
「ああ、あなた、どうしてもバウムクーヘンとパウンドケーキを間違えてしまうことがあるでしょう?」
 少年の顔も、やはり円形の銀色だった。

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