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〈母の記〉母の最期②

臨終の夜に響いた讃美歌

 
 一九九〇年、六月二十四日となって数時間の時、国立M病院の深夜の廊下を、僕はひとりで歩いていた。姉に母の死を知らせる電話をかけようとしていた。玄関口の待合室に置かれた公衆電話を使おうとしていた。携帯電話などない時代である。
 昏く長い廊下だった。
 まだ三十分も経っていない、母の臨終からの時。
 痛いほどの悲しみはまだ来ず、むしろ、頭はしんと冴(さ)えている。今しなくてはいけないことを、いましているだけ、というぎこちなさをどこかで感じながら。
  *
 集中治療室の中、母の血圧がみるみる下がりだす。指先に嵌(は)められた血圧測定用の端子を幾度も嵌め直してみる。「何だろう、器械が故障したのだろうか」といぶかしがる。どうしたわけか、これが最期の時なのだとは思いつかない。昨夜僕が病院に着いたとき、母は眠っていた。眠りは静かだった。その眠りがいつ昏睡(こんすい)に変わったのか。
 医師がふたり駆け込んできた。矢継ぎ早に、注射、心臓マッサージ、電気ショック。
 僕のすぐ目の前で何をしているのか。説明は一言もなく、いや、看護師が「御親族に至急ご連絡ください!」と叫んだような気もするが、僕は心のなかで「はあ?」といったきり動かない。
 二人の医師は引きつった顔で母の体と格闘する。そう、本とうに格闘していた。その時間は十分だったろうか、十五分だったろうか。そして、終わった。
 腕時計を見て、ひとりが、
「ご臨終です」
と、重い口調で告げた。
 僕はすぐ、
 「外して! 早く全部外して!」
と叫んだように思う。
 体中の管(くだ)を早く抜いてほしいと。―先ほどまで命をつないでいた管。けれど今は役目を果たせなくなった管。ぐるぐる巻きにされている苦痛を、母から急いで取り除いてあげたい、その思いで必死だった。
  *
 長い廊下を歩いていく僕の頭の中で、「いつくしみ深き」の讃美歌が鳴り響く。
 
     いつくしみ深き 友なるイエスは
    罪 とが うれいを 取り去り給う
    心の嘆きをつつまず述べて
    などかはおろさぬ 負える重荷を

 
 その歌詞が耳の中でくり返しこだまする。
 検査のために入院したのに、ある日突然「病者」となった母。あれよあれよと、重くなっていった病状。そして死。その直後の解剖では、院内感染はなかなか証明しにくいのですと、執刀した医師から告げられた。
  *
 いま母は、この間の苦痛を、憂いを取り去られた。これまでの人生の重荷を降ろした。
 僕はまだ嘆く心になっていない。何が起きたのかさえよく分からない突然の死に圧倒されていたのだ。
 けれど、僕の心は波立っていない。ひしゃげていない。頭に鳴り響く讃美歌が、なんと優しいことか、何とうつくしいことか。
イエス・キリストに肩を抱きしめられているような気がした。その掌は身体の芯に届くあたたかさと優しさだった。
 暗黒の病院のなかで僕は孤独ではなかった。

*日本福音連盟新聖歌編集委員会編『新聖歌ー交読文付き』教文館、2001年初版、209番「慈しみ深き」より。漢字は一部ひらがなに改めました。
 
 
 

●読んでくださり、感謝します!
 母の思い出は尽きません。それどころか、年ごとに重みが積み重なって厚くなっていくようです。