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これも神さまの証しかな?

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キリスト教信仰を正面から証しできるものではありませんので、やや斜めからとらえた神さまの恵み、あるいは、神さまへのつぶやきをまとめていきます。
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〈こころ川柳〉サア今日も!

サア今日も冷えたこころを陽で溶かす サア今日も鎧兜(よろいかぶと)とリポビタン サア今日も虹のフンドシつけました サア今日も卵千個を割りましょう サア今日もイエスかノーだタロとジロ サア今日も善き人の顔ほほ上げて サア今日も頭百回下げまする サア今日もただでは起きぬ転んでも サア今日も叱言(こごと)かわして卑下すまい サア今日も生きてる朝だお祝いだ ●読んでくださり、感謝します。 昨日何があったにせよ、今日を

<こころ川柳>人生の「居残り」時間

気がつけば居残りできぬ歳となり  六十歳を過ぎたら、会社の残業がなくなった。ちょっと延ばせばキリのいいところで今日の仕事が終えられるだろうという、それまでの考え方を改めなくてはいけなくなった。  仕事だけではない。  年年歳歳、時間の進み方が早くなってきた。  一日はほんとうに二十四時間あるのかと疑いたくなる。この間まで「今日も暑いですねえ」が挨拶だったのに、いまは「今日は少し冷えますねえ」が当たり前の挨拶になっている。数カ月がサッと回転していま目の前に来ているのだ。気づ

〈祈りのエッセイ〉「ほどかれていい」自分

 転居をくり返してきたので「ほどく」事が苦手である。いつまた引っ越すかもしれぬので荷解きをしないのだ。だから、どこも「仮住まい」である。  人間関係も同様で、始終転校・転職をしてきたので、初めから深い関係づくりをしなかった。「いま・ここ」に身を置いて生き抜く、という根の下ろし方・張り方ができなくなってしまったのだ、いつのまにか。  だが、本当はほどきたいのだ、荷物でなく己自身を。そして「いま・ここ」で思い切り生活したいのだ、いきいきと。  すき間からそっとのぞくようなオドオド