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<こころ川柳>人生の「居残り」時間

気がつけば居残りできぬ歳となり
 
 六十歳を過ぎたら、会社の残業がなくなった。ちょっと延ばせばキリのいいところで今日の仕事が終えられるだろうという、それまでの考え方を改めなくてはいけなくなった。
 仕事だけではない。
 年年歳歳、時間の進み方が早くなってきた。
 一日はほんとうに二十四時間あるのかと疑いたくなる。この間まで「今日も暑いですねえ」が挨拶だったのに、いまは「今日は少し冷えますねえ」が当たり前の挨拶になっている。数カ月がサッと回転していま目の前に来ているのだ。気づいたらまた、「今日もマア蒸しますねえ」に変わるだろう。
 生の時間はいつまでもないなと実感する。
 学校の同級生のこと、前の会社の同僚のことなどを思い出すとき、「あの人はお元気かな。今なにをしているだろう」と思わなくなった。「あの人は生きておられるかな」と、そう思うようになった。
 私の人生の残り時間。
 「宿題」が山積みで「居残り」しなくてはいけないほどなのだが、残業できる時間はとぼしいだろう。キリのいいところでうまく人生を終えるのは難しいだろう。
 「この時を、この人を」「この感動を、この言葉を」いとおしむ、もったいながる―自分のこの短足の歩幅でボチボチと、と思う。


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