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どうして生じた?領解文問題 vol.5

松月博宣ノート

補遺(11)「権威」にたよる宗務運営

先に記した「顧問弁護士」も世俗の権威、「出身大学」も権威、それどころか現代版領解文制定に関しても権威。何かに付けて「権威あるもの」を求められる宗務姿勢には目を背けたくなります。「権威」は強者の論理だと思うのです。そこに弱き者、声を上げられない者、弱者への視点は欠けています。浄土真宗・親鸞聖人の教えに一番そぐわないのが「権威」でありましょう。実は先の「制定方法検討委員会」でも委員の勧学さまは設置規程の変更まで意見として述べられているのです。

真宗において「権威」という言葉そのものを使用するのが問題だと言っている

それに対して事務方トップは決まったことであるので「条文上の「権威」あるもの」を外すことはできない」と。権威を悪用すると「他者を強制し服従させる形」になる恐れがあらとまで述べられているにも関わらずです。
「現代版領解文制定方法検討委員会設置規程」(令和4年3月30日宗則第10号)の第1条にも

現代版領解文の制定」について、権威あるもの、かつ正しく、わかりやすく伝わるものとなるよう、その制定方法を検討するため

設置するという文言があります。
この設置規程は文書部法制担当が起草した形になってはいますが、そこに総長の意向が反映されていることは、その独特な文言であり且つ総長があらゆる場面で好んで用いられる「権威あるもの、正しく、わかりやすく伝わるもの」が挿入されていることを見ても十分わかります。

補遺(12)門主の職務

ご門主の宗教的権威を最大限利用して、石上氏の「これからの浄土真宗本願寺派はこういう説き方をしなければ伝わらないのだ」という信念のもとに、一連の「唱和3点セット」は用意されていたと考えるのは穿(うが)ち過ぎでしょうか?石上氏の信念の是否については別項を立てて論証することとして、ここでは総長が本当にそんなことが出来るのか?ということに触れてみたいと思います。

結論から言えば「出来ます」。何故か?ご門主の宗務行為は全て総局の申達によってなされることになっているからです。それは「門主無答責」ゆえ、ご門主に責任が及ばないよう最大限の注意を払い総局は、その全責任を負う宗務システムになっているからです。

宗法上での「門主の職務」の部分を挙げておきます。

(職務)
第10条 門主は、総局の申達によって、次の各号に掲げる事項を行う。
一 宗制、宗法及び宗規の変更の発布
二 宗則の発布
三 宗令の発布
四 法要及び儀式の執行
五 親教
六 学階勧学の授与
七 一般寺院及び非法人寺院の住職並びに宗門の諸規則による宗務員等の任命
八 特別褒賞の授与
九 染筆の授与
十 赦免の発令
十一 前各号のほか、宗門の諸規則で門主の権限に属した事項

これらは全て総局の申達による事になっているのです。
分かりやすく言えば「総局の意思でご門主は職務を行っておられる」という事で「悪意を持った総局が何かを企てるために、ご門主に申達し門主の職務として行わさせる」ことは可能なのです。その時、もし批判意見を言う者があった場合「ご門主がなさることだ、批判は出来ません」と言えてしまう。ということです。

お分かりいただけたと思います。現在の総局はこれを使っているのです。今までの総長がこのようなことをなさった事はありません。「しなかったのです」でも石上総長は「してしまわれた」のです。

中外日報のある記者と話をした時、「各宗派のことを取材しますけど、総長(他宗では宗務総長や管長などと呼称)が教義について手を出したものは今まで見たことがありません」と話してくれました。それは門主・門首・各宗派の宗教的権威に対するリスペクトがあるからだと思うのです。

補遺(13)「新しい領解文」制定経緯についての一つの論考

現代版「領解文」を制定しようと発議されたのは、2005年不二川総長時代に大遠忌法要に向けて「宗門長期振興計画」が起案された事に始まります。その時点で「現代版領解文」の制定が推進事項の一つに揚げられたのですが、その時点で「領解文とは何か?」という本質的な議論が交わされた形跡が見当たりません。

現代においては「領解文は言葉も内容」難しいものだから、新しいものが必要ではないか?という程の認識で事は進められていたものだから、いざ作成しようとしても「領解文とは何か?」が明確でないままに議論され完成にこぎつけることが出来なかったと見るのが妥当のように思えます。

もう一度言います「領解文とは何か?」という本質的な共通理解のないまま制定しようとしたところに、この度の混乱が生じた初原点があるのだと考えます。おそらく「現代版領解文制定方法検討委員会」でもその事は一部の勧学から指摘されたふしがあります。議論の中でも「領解文」というものへの理解が「推進する側の事務局」と「一部委員」との間で大きな乖離があったと思えます。

だからこそ委員の中から「内容への議論が無いままでは、制定方法を検討する事は無理がある。内容さえ議論できないこの委員会は無意味で解散すべきだ」との意見も出たやに漏れ聞きます。

これは「長期振興計画」の起案だけではなく、私どもも「領解文」というものの本質を見極める事なく、形式上の「出言」をしてきた事も、それを後押しした形になっているのではないでしょうか?この度の混乱は制定した側に主因があるのは当然ですが、私たち自身の「領解出言」の意味合いを再確認する営みを続けることが必要と思われます。そうしてこそこの度の混乱が意味ある事になっていくように思っています。

補遺(14)請願書について

ある宗教紙の記者が指摘するように、今回の混乱の根源は「制定方法に疑義」がること、そして「教義解釈の危うさ」にあることは明らかです。彼独特の表現で「宗務当局」対「アンチ派」と二局対立構造で解説していますが、ご法義の上から考えるとアンチは「新領解文を推進」する宗務当局側であって、どう考えても「勧学・司教有志の会」をはじめとする苦言を呈する側に「義」があります。

宗門法規上、一旦発布されたご消息を「取り下げる」ことは不可能なことですので、彼の指摘するように「法義解釈論争」に持ち込むしか「ご消息」を「依用せず」という次善の解決にはいたらないと思います。私は記者の提言に加え、もう一つ論争すべき視点があると考えています。それについては項を改めて書いていきます。

ここでは暫く皆さんに新しい「領解文」の法義的問題を考えて頂くために、もう少し経緯について書いておきます。

先の宗会に

新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の唱和を推進するにあたって、現状ではインターネット上で様々な意見が生じてご門主批判がおこっていることを心配しております。決してご門主に批判が向かないよう、またご安心の誤解が生じないようご配慮を頂きますよう宜しくお願い致します

と唱和推進することを一旦保留して欲しい旨の「請願書」が提出されました。読んでお分かりのように「至極真っ当」な請願内容なのですが、これの取り扱いについて議会運営委員会をはじめ議員さんの中で相当な攻防があったようです。

宗会には「宗門内の意見を吸い上げ運営すべきこと」が宗法に定めてあるにも関わらず、本会議に上程することに難色を示し、かてて加えて「怪文書」のようなものが出回るなど、おおよそ宗教団体の議会とは思えない事があっていたと聞き及んでいます。

「行政」側(総局や特別職)にいる議員さんや、総長に近い議員さん達が、「立法」側の議員さんに「請願に賛成することはご門主を批判し傷つけることになるから反対に回るように」と締め付けが相当厳しくあったようです。

この請願内容のどこにご門主を批判する文言があるのか議員さん方に教えて貰いたいと私は考えています。喧喧諤諤の攻防がある中、議長はこれを議会に諮ることを議会運営委員会に合意させ、本会議において紹介議員に説明を求めると共に、この請願に対する賛否双方の議員さんに発言させました。

これは大変重要な事であったと考えます。なぜなら宗会の場で、「新しい「領解文」についての消息」の中にある、唱和をする事を勧める文言、および総局がそれを根拠として宗務の基本方針とする事に対して異論があったことを、公式な「議事録」に残すことになるからです。未来において歴史を検証する時「混乱の中にあっても、宗会では異を唱える論調もあった」と確認してもらえるからです。つまり宗門の歴史に残すことが出来るからです。

補遺(15)請願書不採択

請願書には「唱和推進することを慎重にして欲しい」とされており、それは「宗務の基本方針」の(1)新しい「領解文」の周知及び普及(2026年度までに寺院行事での唱和100%をめざす)する事を一旦保留して貰いたい。理由は「新しい領解文」への理解が深まってないままではご法義への誤解が生ずる恐れがあるからというものです。

この請願が何故採択されなかったのか?不採択は想定内ではありましたがよく分からないのです。不採択とされた議員さんは「唱和推進する事を可」とされたのでしょうが、その理由が分からないのです。宗会であの請願に対する採決を取ったのは「ご消息」の賛否を問うた訳ではないのです。「唱和推進すること」の是非を問うたのです。

しかし
請願に賛成した議員は「新しい領解文・反対派」、
請願に反対した議員は「新しい領解文」に賛成派
と宗会議員さんを分断する結果になってしまったのです。

その原因はひとえに請願書に書かれている内容が読み取れていなかったことにあると思うのです。この請願書の扱いについての宗会議員さんの判断は、残念なことに新しい領解文の法義的問題をそっち退けで宗会と宗門世論を二分するような感情的な騒ぎにまで発展してしまいました。現在も一部ではありますが、領解文反対派議員、領解文賛成派議員と議員さんを対立構造で語る向きもあります。これは実に有益でない方向だと思います。

宗会議員さん方誰一人ご法義繁盛を願わない方はいらっしゃらないのです。だからこそ議員に立候補され、宗務が間違いなく法義宣布の方向に行っているのか?その運営についてチェックしよう。ご法義のためにならない、違う方向に行政(総局)が向いていたら糾し正しい舵取りをしたい!と考えておられるに違いありません。

こう考えると今回の321回宗会の議決結果は「唱和推進」することがご法義の発展に寄与するものとされる議員さんが多数を占め、本願寺派の未来が決まってしまったことになるのです。

補遺(16)思考停止してませんか?

もし(歴史にifは通用しないことは承知のうえで)321回定期宗会で「唱和推進することは慎重に願う」という請願が採択されていたなら、議長は総局に対して「これが宗門人の意見ですよ、宗務運営にこれを必ず反映するように」と請願を受け入れるよう回付する心づもりであったに違いありません。おそらく前総長であった園城議長の心中は「今なら暴走を停められる、今停めなかったら大事になる」と判断されたからこそ「請願書の宗会上程」に尽力したのです。

ここで宗会議員さんの取られた議決行動の是非は申しません。それぞれのご法義繁盛の思いと大人の事情があったのでしょうから。ただ「ご門主が書かれた物だから」という見解でなされたとするなら

「思考停止してませんか?」

とは言っておきたいと思います。
さて宗会の後、「唱和推進する具体策」が常務委員会での賛成多数により決まり慶讃法要が始まったのです。そこではご門主ご親教のあとアナウンスで「ではここで新しい領解文のご唱和をいたしましょう。パンフレットの33ページをお開きください」となったのです。

これからは本山教区での宗派行事全ての場面で「唱和推進」がなされていきます。基本方針の具体策によると2026年の宗勢基本調査時で全寺院100%の唱和率を目指すことになっていますから、私たちのお寺にも唱和をすることが強要されるのかも知れませんね。

今回経緯についてあれこれ書いた訳は、私たちのお預かりしているお寺のご教化活動(法要法座)にまで大きな影響を受けるようなことになる事柄が、ほんの少しではありますが、このような経緯で決まったのだという事を共有しておきたいと考えたからです。

まだまだ他にも共有したいことは有りますが新しい「領解文」制定の経緯については一旦おきたいと思います。次からは「新しい「領解文」、そしてそれを「唱和推進」することが浄土真宗の教えを多くの方々にお伝えすることになり得るのか?をともども考えていきたいと思います。

つづく

松月 博宣
浄土真宗本願寺派僧侶
龍谷大学文学部仏教学科卒業。本願寺派布教使。
福岡県海徳寺前住職。
https://www.kaitokuji.info/


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