バプテスマを受けたい
こんにちは!
新米クリスチャンのリョウです。
このブログは、全くのノンクリスチャンだったボクが、
クリスチャンとして導かれ、その中で見たもの感じたことなどを
気ままに書き綴っていこうかと思っています。
不定期更新ですので、たまに覗いてみてください。
第十四回目は、
「バプテスマ」についてお話したいと思います。
ボクは2022年の7月にバプテスマを受けたのですが、
何故受けようと思ったのか、
また、受けてどうだったのかについて、お話出来ればと思います。
バプテスマが自分を変えてくれるはずだ!
聖書を読み始めて神様の存在を確信するようになった頃、
ボクは「出来ることなら神様に従って生きていきたい」と思うようになりました。
「出来ることなら」と思っているあたりが、初々しいですが…笑
とにかくそんな風に思っていました。
とはいえ世俗の習慣からは離れていませんでしたし、
離れる必要すら、まだあまり感じていませんでした。
今思えばその頃のボクは、バプテスマを受ける資格など全くない状態でしたが、なぜか「バプテスマを受けたい!」という気持ちだけは強くありました。
きっと自分の罪について、少しずつ自覚してきたものの
自分では到底清くなれないことを感じ、
「バプテスマという儀式を行えば、神様が特別なチカラで生まれ変らせてくださるかもしれない」という、ずる賢い考えがあったのかもしれません。
当時まだ教会には行っていませんでしたが、一緒に聖書を読み始めた友人にこのことを伝えると、こんな風に返ってきました。
「何故わざわざバプテスマを受けるの?神様を信じて、毎日祈っているのだから、それで充分ではないの?こういう儀式をしたからと言って何か変わるわけではないよ」。
“儀式をすれば自動的に生まれ変わる”なんてことはない、というのは、正しいかもしれません。
しかし、バプテスマが何なのか全くわかっていないボクでさえ、
その意見に納得することは出来ませんでした。
「結婚なんて何でするの?お互い愛し合っているなら、そんな形式にしばられなくたっていいじゃない」
と言われているような気がしたのです。
そして、バプテスマを受けるなら、水に浸かりたい!
とも思っていました。
何でそう思っていたのかは覚えてはいませんが、
不勉強ながら何となく、「水に沈んで古い自分が死ぬ」というのは理解していたのでしょう。
そのことについても、友人に「それは昔の話でしょ」と一笑に付されました。
そうやって笑われたとしても、「真理って時代によって変わるの?」と、やはり納得が出来ませんでした。
とはいえ、まだ教会にも行っていないし、聖書も全然読み進めていなかったので、バプテスマの意味は、全く分かっていませんでした。
その後教会に通うためにSOSTVのセミナーに参加した時、
ボクの中で2つの目的を持って参加しました。
正しくバプテスマの意味を知る
ひとつは教会に通いたいというのと、
もう一つが、バプテスマのことを聞きたいということ。
引っ込み思案の性格なので、セミナーでは両方とも聞けませんでしたが笑
後日、無事教会にも通うことができ、バプテスマについても質問することができました。
バプテスマの正しい意味については、是非牧師先生に聞いてみてください。
もしくはバイブルアンサーに質問いただいても大丈夫です!
コチラも参考までにどうぞ!
さて、バプテスマの意味は理解したボクでしたが、
教会に入ってすぐにバプテスマを受けたわけではありませんでした。
まだ準備が整っていなかったのですね。
ボクにとっては、ひとまず教会に慣れ、聖書を学ぶ時間が少し必要だったように思います。
※人によって最善のタイミングも違うと思うので、そちらも是非相談しながら決めてくださいね!
バプテスマの体験
教会に通うようになって1年半くらいしたタイミングで、教会内でバプテスマの話題になりました。
さすがの引っ込み思案のボクでさえ、ようやくバプテスマを受ける時が来た!とわかり、「是非受けたい!」と申し出をしました。
バプテスマを受ける準備として、必要な勉強をし、
誕生日の数日後に、移住してきた秩父の川でバプテスマを受けることになりました。
今思い出しても、特別な一日だったと思います。
秩父のキャンプ場の川を予約したのですが、隠れ家的なキャンプ場だったとはいえ、季節は7月のキャンプシーズン。
さすがに一般のお客様もいるので、ちょっと気を使います。
ですが、その日はあいにくの雨予報。
「ちょっと残念だな」と思っていたのですが、当日は式が終わるまで雨が降らず、無事式を終えることが出来ました。
しかも雨予報だったために、キャンプ場の他のお客様の予約はキャンセルになり、(少しだけお客様はいらっしゃいましたが)
気を使うことなくバプテスマを行うことが出来ました。
全て神様が最善へと導いてくださった結果です。
バプテスマを受けてみて、どう感じたかというと
「ようやくクリスチャンになれた!」とは思いましたが、
実際は自分の罪深い品性は何も変わっていないことは良く分かっていました。
感情的になっても意味がない、ここからは言い訳せず神様に献身できるよう努めよう。
と、そんなことを考えていましたが、実際は何も変わっていない日々をしばらく過ごしました。
ただ、一つだけ変わったことは、「どんな自分であっても、神様はいつでもそばにいてくださる」ということを、信じることが出来るようになったことです。
そして、神様はボクを日々導いてくださいました。
今でもボクは自分を見つめると、絶望しかなくなってしまいますが、それでも神様を見上げ、振り返ると
成長させてもらっていること
助けてもらっていること
そして神様は決してボクを見捨てず、裏切ることなく、
いつもそばにいてくださることを、日々確信しています。
聖書に出会って、まだ間もない方は、
「バプテスマを、受けたほうがいいんだろうか?」
と思う方もいると思います。
是非受けてください。
というのがボクの意見です。
自分はまだ未熟過ぎて…などと尻込みする必要はありません。
受けると決めた時から、信仰はより成長していきます。
完璧なクリスチャンだから受けるわけでもないと思います。
ボクはバプテスマを受けてからの方が、信仰の成長がありました。
迷っている方も、決めている方も
是非一度、牧師先生に相談してみてくださいね。