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Smart Eye Camera、ブータンへ行く(1)

 山々に囲まれた小さな空港は、4日前ここへ降り立った時とは全く違って見えた。およそ空港の建物とは思えない伝統建築の細やかなファサード。所々で岩肌の露出した山肌。民族衣装に身を包んだ人々。高い標高を実感させる太陽光線。右も左も分からず、新鮮な驚きと微かな居心地の悪さを感じていた4日前の僕は、確かあの辺りに立ってドライバーの到着を待っていた。先程、同じドライバーに空港まで送って貰った。車寄せで降りて、ふと周囲を見渡すと自分がブータンという国に馴染んだのが分かる。見慣れない世界へやって来たあの時の違和感はすっかり消えていて、ここにあるのは少しの寂しさだった。

 2023年2月28日の夕方成田を発ち、乗り換えの為バンコクで一晩眠って3月1日の朝パロに着いた。パロは国際空港を擁するブータンの玄関口となる町だ。空港はもちろんそれなりの広さの平地に位置しているが、少し視点を引くと山岳部の谷間にある。山に囲まれた空港だと言っても大袈裟ではないだろう。着陸へ向け降下する際、窓からは世界最高峰レベルであろう頂きも見えたし、さらに高度が下がってからは窓の外が山肌に占められたりもした。こんなに山の近くを飛ぶ大型旅客機はそうそうない。
 飛行機で隣に座っていたのは香港からの女性で「観光ですか?」と尋ねると「お寺へお参りをする為」という答えが返って来た。早速仏教の国だ。それから彼女は「あなたも仏教徒なの?」と言った。それはイエスでもノーでもない答えにくい質問で、僕はどちらかというとノーというニュアンスで、今回はビジネスで来たのだと言ってしまったが、もう少し詳しく説明しても良かったなと思っている。
 僕は特定の宗派を信仰していないものの、原始仏教には興味があり「スッタニパータ」を始めとした中村元の本などは読んでいる。高校生のときは禅にはまって古本屋でそれらしい本を探しては読み漁っていた。ゴータマ・シッダールタという人には会ってみたかったと今も思うし、一休宗純のような風狂に対する憧れもある。でもまあ、お寺という場所に観光以外で足を運ぼうとは思っていない。得度したことも出家したことも誰かの元で修行したこともない。父が亡くなった時にも葬式は出さなかった(生前の父と2人で決めていた。「俺が死んだらお母さんは葬式をしたがるだろうけれど必ず阻止するように!」)。つまり僕は形式としての仏教には与しないものの、思想の一部には感じるところもあるということになるだろうか。所謂「仏教徒」ではないが「仏教徒ではない」と言い切ることには微かな抵抗がある。

 さて、今回ビジネスでのブータン訪問だと書いたが、パロに降り立った僕達は4人のグループで、そのうちの2人はOUI Inc.からVP of Global Businessの中山さんとハードウェア担当の僕だった。形式としてはあるプロジェクトの中にOUI inc.を組み込んで頂いたもので、そのプロジェクトを計画し実行している方には文字通り最初から最後まで何から何までお世話になり感謝しても仕切れない。本当はその方のことも書きたいのだけれど、ご迷惑になる可能性もあるのでここでは立場も何も表さず、お名前も仮名でただ伊藤さんとしてご登場願おうと思う。また、もう一人の同行者についても迷惑をお掛けするかもしれないので、同様に仮名でシンディさんとしておきたい。

 飛行機を降りた僕は早速空港の建物に目を奪われた。緑に葺かれた屋根の下、白い壁に所狭しと並んだ窓や柱には雲とドラゴンの装飾が、これも緑と朱そして金であしらわれている。それらはやはりどこか寺を連想させる。
 空港ターミナルに入ってすぐにイミグレーションがあり、その手前で僕はPCR検査を受けることになってしまった。僕たちが訪れたときのブータンはCOVID-19のワクチン証明も陰性証明も求めないが、入国者からランダムに数人を選んでPCR検査を行っていたのだ。検査の結果は知らされない。さらに仮に陽性であったとしてもそれで隔離されたり何かのアクションを求められることもない。ただ定点観測として空港でPCRを行っていた。
 ただの定点観測とはいえ、知らない国についていきなり別室に連れて行かれ、あれこれ聞かれて検査されるのは心地の良いものではない。検査室は狭くて静かで、神妙な面持ちの入国者が6名ほど座っており、パスポートを見せたり宿泊先を伝えたりしていた。聞き取りが終わった人から順に鼻に綿棒を突っ込む方のPCR検査を受ける。検査の様子は丸見えだ。僕は一度もこの方式の検査を受けたことがなかったので、その様子は随分痛そうに見えた。子供の頃に耳鼻科で受けた治療の痛みを思い出して気持ちが重たくなる。
 順番が回ってきたとき、スワブを用意する検査官に「痛いですか?」と聞いてみると、彼はカジュアルな感じで「やったこと無いの?痛いっていってもほんのちょっとだよ。軽くにしておくから心配しないで」と言った。誰も無駄口を叩かず、蛍光灯の下、淡々と検査だけが進む部屋の見え方が急に変わった。当たり前だけど、ここに居るのは話せば話す生きとし生ける人間達だ。そして検査も拍子抜けするくらいになんでもなかった。
 検査室を出てイミグレーションに行くと、入国審査官がなんと日本語で「こんにちは!」と笑顔を向ける。それから壁に貼られていた鳥の写真がきれいだったので、鳥の話をしながら入国した。
 クズザンポーラ、ブータン。


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