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アマゾックス9.0

 オレンジジュースにポッキーを漬けて食べるみたいな食べ方を紹介するテレビコマーシャルが子供の頃あって、テレビコマーシャルでやっているくらいなのだからきっと美味しいに違いないと思ったまだ牧歌的だった僕は早速それを真似して食べて、その不味さに吃驚した。テレビコマーシャルで取り上げられているものが不味いわけないと、舌の上で美味しさを探し出そうとしたが、口腔内に広がった不快感が勝って美味しいとか不味いとかではなく、ただ耐えることができなくなり、そして僕は洗い流すようにオレンジジュースを流し込んだ。
「消しちゃっていいよね?」
 ナミは当然だという口調でそう言って、それから氷の溶けて薄くなったオレンジジュースを口に運ぶ。50インチの画面にはエンドロールにオーバーラップして「ご視聴ありがとうございました。本コンテンツ視聴の記憶を消去しますか?」と表示されている。特に深みはないが、娯楽作品としては満点と言っても良い映画だった。物語を通り抜けたとき特有の微かな感動もあるが、余韻に浸っているような時間はない。
「面白かったけどね。消そう」
 記憶を残すか消すのかの決定は、エンドロール終了後30秒以内に行わなくてはならない。何も操作しない場合は自動的に記憶は残され、そして視聴料金が課金される。僕は「消去」と画面に向かって言った。
 記憶が消去されると、意識の連続性が損なわれ、長い悪夢から目覚めたときのように一瞬自分がどこにいるのかを見失う。もちろん、もうすっかり慣れっこだ。僕はオレンジジュースのコップに手を伸ばした。コップの表面は結露していて、指先が冷たく濡れる。映画を見ていたときに食べていたチョコレートが口の中に残っているのか、オレンジジュースはチョコレートと混じり合った時独特の張り付くような味わいを生み出した。子供の頃は本当にこの味が苦手だった。
「さっきの映画3時間もあったんだね、90分くらいかと勝手に思ってた、私」
 ナミがスマートフォンで時間を確認しながら言い、僕は「僕もそう思っていた」と答えた。映画を見ていた3時間の記憶がすっかり抜け落ちているので、3時間前の自分は1分前かのようにリアルだ。現実には勿論3時間が経過しており、網戸の外には夏の夕方が広がっていた。
「今日ずっと映画ばかり見てて何も記憶に残ることしてないから、ちょっとしたピクニックみたいな散歩でもしない?」と僕は提案した。
 朝起きて、ナミがパンを焼き始めルバーブジャムをテーブルに出したこと。僕がコーヒーを淹れたこと。そしてそれを二人で食べたこと。その途中で映画を見始めたこと。昼過ぎに一度映画を中断して近所の中華料理屋までランチに出たこと。戻ってからまた映画を見始めたこと。それが今日に関する記憶の全てだった。二人ともあまりお金がないので、映画の記憶は消去していて、だから映画の内容は何も覚えていない。ただ3本の映画がアマゾックスの視聴履歴に「お試し視聴済み」として表示されているので、僕たちはそれを見たのだろうと思うだけだ。
「そうしよー。カルディでワインの小瓶のやつ買って、鴨川かどこかで飲みたい」
「いいね」
 記憶消去覚悟で映画やドラマを見る人達が最近増えてきて、アマゾックスがシステムを変更するという噂がある。アマゾックスが予想した以上に多くの人々が、お金を払って記憶を保持するよりも消去すれば無料という選択をした。様々な指標に表れている以上に人々が困窮しているのだという経済評論家もいれば、映画に対する冒涜だと怒っている映画評論家もいる。特に日本の有名な映画評論家は「若い人達が記憶を消去した映画についても、その映画を見たと言い張ることが我慢ならないし、絶対に間違っている」とニュース番組のインタビューに答えて言っていた。別のニュース番組では街頭インタビューを受けた大学生が「記憶がなくても見たのは事実だし、履歴にも残っているし、そもそも記憶消してない映画だって2,3ヶ月経ったら大体忘れるんだし同じじゃないっすか。っていうか、忘れても見ていたそのときは楽しんだわけだし、その事実も消えないし」と言っていた。
 記憶を残せるのであれば残した方が良いのだろうなとは僕も思う。だけど、お金を払ってまで残したいかと言われると考えざるを得ない。2ヶ月前まで付き合っていたマリカはそうではなかった。マリカは一緒に映画を見た後、記憶消去を選択しようとした僕に「あり得ない」と言った。
「記憶を消すなんてあり得ない。それって映画を見ていた間を死んでいたことにするのと同じことよ」
「死んでいたは大袈裟だよ、ちゃんと楽しんだんだから」
 僕は笑いながらそう言ったが彼女は真剣だった。
「楽しんだ記憶を消してしまうのだから死んでたのと同じでしょ。いい、じゃあこれが一本の映画ではなくて、私と過ごす時間の全部だったらどうする訳、ケイタはそれでも記憶を消すの、お金をケチって」
「そんなわけないじゃん、記憶残すよ。それとこれとは話が」
「同じことよ。私と過ごした時間全部というのが大袈裟に思うかもしれないけれど、大袈裟でも何でもないわよ。もっと言うのであれば人生の記憶を全部消すって話なんだから」
「それを言うのであれば、人生の記憶は死ぬ時に全部消える」
「死を持ち出すと、それこそ話が別でしょ、記憶を消した状態で生き続けることが平気なのかって私は聞いているの、記憶の有無を認識する主体自体の消滅は含んでないの」
 納得したわけではなかったが、マリカの剣幕に押されて僕は映画の記憶を残すことにした。580円。
 ナミとは一度も記憶を残すかどうかで揉めたことがない。むしろナミは積極的に記憶消去を選んでいるようにも思う。ヨレヨレのTシャツを脱いで、外出用のTシャツに着替えているナミに僕は聞いた。
「僕達さ、いつも映画とかドラマの記憶消してるけれど、大丈夫?」
「えっ?もちろん。お金勿体ないし」
「そうだよね」
「もしかして、さっきの映画の記憶残しておきたかった?」
「そういうわけじゃない」と僕は言った。そういうわけじゃない。いや、そうなのだろうか。記憶は既に失われていて、僕がその映画を見てどう感じたのかはもう分からない。記憶を残したいと思ったのか思わなかったのか、もう分からない。
「そうではないんだけど、なんか、これで良いんだよね? ナミは記憶を残したいと思ったこと全然ないの?」
「私はないかな。私、結構刹那主義というかなんというか、その瞬間のことしか気にしてないところあるから、見ている瞬間が楽しかったらそれいいって思っちゃう」
「そっか」
「うん、終わったこととかどうでもいいの。それに記録はちゃんとアマゾックスに残っているわけだから」
 アパートの小さな玄関で僕は白いビーチサンダルを、ナミはグレーのTevaを突っ掛けた。玄関は西を向いていて鉄製のドアの向こうから夏の太陽が熱気を送り込んでいる。記憶が消えて、記録だけが残っているのはもはや映画に限ったことではなかった。GPSによって記録された移動、支払いアプリに記録された購買、昔付けていた日記、10年前のそれらを僕はもう大抵忘れていて、記録にあるのだからそうだったのだろうと思うだけだ。これから川縁に座って飲むワインだって、いつかそうなるのだろう。
「グラス紙コップ買うんじゃなくて普通のワイングラス持っていこうかな」
 ナミは突っ掛けたTevaを脱いでキッチンへ向かった。僕はドアを開けたままにして彼女が戻ってくるのを待っていて、夕方の優しい風が部屋に吹き込んだ。

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