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1万円のドキドキ

亮太、もうすぐ40歳。

お財布の中にはいくら入っていますか?

2、3万ですか?
何かの支払いがあるから10万くらい入っています?

給料日前だからお札は入っていないですか?
お給料がいくらもらっていても
小学生の時に初めて1万円を持った感覚。
胸がドキドキして両手で大事に持って家の近くのスーパーに買い物に行った時に感じた気持ちを忘れません。

お買い物の1万円

「亮太、スーパーでジャガイモ買ってきて」

小学校から帰ってきてスーパーファミコンをやっている亮太に母がお使いを頼みます。

「今日はカレーだから、早く買ってきて」

この頃は週1でカレー、夜食べて次の日の朝ごはんもカレー。大好物です。

「細かいお金ないから、1万円でお願いね」

福沢諭吉さんが描かれた紙幣は神々しく光っており心躍る気持ちになります。

「絶対落とさないでね」

それは?落とせってこと?フリではなく、大事に大事に両手で持ちながらジャガイモを買いに家を出ます。

小銭の100円玉なら何とも思わない、

500円はなんだか嬉しい

1000円はお年玉でもらうレベル

5000円はもらったことがない

10000円は神の領域

両手に神を大事に抱えながらジャガイモを購入しに行きました。

無事購入。

お釣りに沢山の1000円札と初見の5000円札、大量の小銭。

小学生の時に感じた1万円札の威力を今でも覚えています。

お札を持つだけで震える。

この気持ちは無くしたく無い気持ちです。

それは今がお金持ちになった訳ではありません。

お財布に1万円が入っていてもドキドキしないのです。

最悪落としてしまっても、「あーあ」で済んでしまいます。

何度も書きますが今がお金持ちな訳ではありません。

あの、小学生の時の、1万円札を持ったドキドキ、大事な気持ち。お金を大事にする姿勢は忘れないようにしています。

おばあちゃんの千円

お金のドキドキについてもう一つ。

小学2年生の正月。田舎に帰省していました。

親戚が集まり亮太少年はお年玉をたらふくもらいました。

小学生が年間で1番大事にする行事、お年玉。

親戚のおじちゃんおばちゃんにこの時ばかりは媚を売りまくり

用もないのに居間を行ったり来たりして、

「おい、亮太。お年玉をやろう」

酔っ払いのおじちゃんからの声がけを狙い撃ちしていました。

合計で4、5万ほど集まり、しめしめと懐に入れようとしましたが

そこは大人同士のしきたりがあります。

半分はお返しするんだから!よこしな!

母のするどい眼光に半分は没収されます。

それでも2万円もの大金があります。

亮太を可愛がってくれていたおばあちゃんに見せびらかします。

「見て!千円いっぱい」

千円札が10枚と1万円が1枚。ウキウキで過ごしました。

後日、亮太のお年玉が消えました。1枚無くなりました。

正確には1枚無くなったのです。千円札がありません。

必死に探しましたがないのです。お年玉袋に折り畳んで入れていたのですが
どうしても1万9千円しかないのです。

落としたかな?おばあちゃんと部屋の隅から隅まで探すが見つかりません。

毎日探すが出てこないで東京に戻る日を迎え諦めて田舎を出ました。

この時、亮太はそんなに落ち込んではいませんでした。

まだ1万9千円もある。ウキウキ。良いじゃん1枚くらい無くても。

全く落ち込まず、むしろこのお金で何を買うか考えるのに忙しかったです。

それから数ヶ月後
夏休み。

また田舎に帰ります。

2週間ほどの帰省です。

久々におばあちゃんに会えた嬉しさで駆け寄ります。

「おばあちゃん、ただいま」

おばあちゃんは元気がありません。

「おばあちゃん、どうしたの?」

「亮太、ごめんな。あの千円。ずっと探してたけどやっぱり出てこなかったんだよ。」

無くしたことすら忘れていた亮太は、
ずっと探していてくれたおばあちゃんの優しさ、
そしてお金の大切さをこの時に教わりました。

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