習慣と循環
先月末にこのようなポストをしました。
「自分の文章をもっと書きたい」
最近、そんな意欲がむくむくと起き上がってきました。仕事でも文章を書いているのですが、それとは別で、素直な自分のことばを研究したい想いが芽生えてきたのです。
以前、ファッションディレクターの軍地彩弓さんが、わたしの書いたエッセイを読んで「嶋津くんは、自分の文章を書いていく人だと思う」と仰ってくださったことがあります。正直、その時はピンと来てきなかったのですが、今になって「ああ、そういうことなのか」とようやく軍地さんがくださったことばの意味がわかりました。当時は、いろんな人をインタビューしたり、講演のレポートを書いていて、話し手の魅力を引き出しながら文章に落とし込んでいた時期です。話し手の考えに触れることにもわくわくしていましたし、“わたし”というフィルターを通して、相手の新しい魅力が浮かび上がってくることも楽しい体験でした。自分が書く文章にもささやかな誇りを持っていました。
それが、おそらく飽和のラインまで到達したのだと思います。誰かのことばを文章にすることにやりがいはあるのですが、それよりも今は自分から出てくる純粋なことばに関心があります。文章を書くにはその意識さえあれば十分で、自分のことばを研究するために毎日書いてみようと思いはじめました。
同時に、自分のことばを声に乗せることで、声を通して自分を育てていきたいと思いVoicyでの毎日配信もはじめました。
読んでもらえたり、聴いてもらえたり、感想が届いたりするととてもうれしいです。ただ、誰にも読まれなくとも、聴かれなくとも、わたしは淡々と続けます。毎日、顔を洗ったり、歯磨きしたり、朝さんぽをするように。
それが誰かの目や耳に触れ、その人へポジティブな影響を与えることにつながったとしたら、これほどすばらしいことはありません。わたしの自分勝手な習慣が、誰かの楽しみや癒しの一部となる。最高ですね。
そういうイメージは大切です。できるならば、多くの人に良い影響を与える現象へとつながっていけばいい。実際に、コメントが届くことも、シェアしてもらえることも、すべてがわたしにとって歓びです。そういう良き循環が生まれるように、楽しみながら話したり、書いたりしていきます。きわめて淡々と。