サルになるよ
伝説のフォークロックバンド「たま」を知っているか。
当時、人気だった深夜番組『イカ天』に出演し、全国にその名を轟かせた。審査員の前で10組ほどのアマチュアバンドが演奏し、イカ天キングの座を争う。キングになると翌週もディフェンディングチャンピオンとして出演する。5週勝ち抜くと“グランドイカ天キング”の称号が与えられる。「たま」はその名誉ある称号を与えられた数バンドの中の一組だった。
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「たま」
知っているようで知らない。昭和のミュージシャンを懐かしむようなテレビ番組で何度か見たことがあった。『さよなら人類』という曲もなんとなく聴いたことがあり、裸の大将みたいなタンクトップのおじさんが「ついたー!」と叫んでいる記憶だけがある。『イカ天』の名は、歌舞伎の格好をしたおじさんと抱き合わせで耳にしたことがある程度。いずれにしても、溶けて消えた昭和のマボロシだ。いや、違う、イカ天は平成だ。
YouTubeを知っているかい?
死ぬまで時間を潰せる道具。今日も誰かが世界に動画をアップロードする。人生を何度繰り返しても全てを見切れないほど、膨大な量のアーカイブがインターネットに放流されている。これを見ながら、死ぬのを待っている。
きっかけは忘れた。クリックすると、若い頃のマイケル富岡が出てきた。荒い画質が、彼の姿をより洗練させて映し出した。この頃のテレビは、みんなニヤニヤしている。テンションが高い。周囲の浮かれぶりとは馴染まず、マイケル富岡は無表情でシャープだった。
YouTubeのアルゴリズムはわたしを昭和へと連れだしてくれる。一桁台の平成は、昭和の余韻であり、残り香である。何度目かのクリックで、現れたのが「たま」だった。
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浮き上がった歪
奇妙な四人組。ちゃんちゃんこを着て、下駄をはいた、河童みたいな髪型のギター。おにぎりが食べたいタンクトップのパーカッション。チューリップハットを被ったしゅっとしたベース。昭和トレンド前髪ちょこんアコーディオン。
何とも言えないリズムとテンポ。天才的な声を響かせ、ゆらゆら唄う。桶を叩くパーカッションは乱舞しながら掛け声を上げる。途中、芝居の語りが入る。複雑かつ調和のとれた豊かな音楽。それは、もはや演劇だった。
MCも、審査員も、スタジオ全体が、奇妙な空気に包まれていた。誰も理解できない状態。わたしもまた初動の違和感を受け取ったまま、画面から目を離せなかった。胸は高鳴っていた。曲名は『らんちう』と言った。
「たま」は、イカ天キングに選ばれる。
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さよなら人類
結果、「たま」は5週連続勝ち抜くわけだが、この2週目は見逃せない。見る者の疑問が、確信に変わった瞬間だ。「たま」の不思議な点は、作詞作曲をメンバー全員がすることだ。その楽曲をつくった者が、その曲のメインボーカルとなる。
一週目の『らんちう』は河童頭の知久さん。天才的な声と、独特のメロディ、奇妙な表情がたまらない。そして、二週目の『さよなら人類』はピアノボーカルの柳原さんだ。
ゆるやかなメロディ。童話のような歌詞がかわいく、美しく、ひょうきんな気持ちになる。ただ、それらのことばに耳を傾けると、終末思想を彷彿させる。恐ろしく、寂しく、諦めに似た清々しさがある。それが軽やかなメタファーと歌声で、楽しく響く。そこにわたしたちは二重の不気味さを感じ取るのだ。
単調なメロディーは途中、ハーモニーを生みながら讃美歌のように響く。「今日人類がはじめて木星についたよ」と歌うと、パーカッションの石川さんが「ついたー!」と叫ぶ。2001年宇宙の旅よろしく、テクノロジーの進歩は人類をピテカントロプスへと近づける。
圧巻だった。違和感は、確信へと変わる。一週目、その奇妙さに飲まれてキングとなったが、二週目は絶対的であった。複雑に、そして、適切に重なり合い、調和を生む音楽。天才の声、鮮やかなことば、展開される物語、音楽による演劇体験。
「たま」は正真正銘の天才だった。
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「たま」はもういない
これが見たかったのだ。周囲とは混ざらない、独立した存在感。世の中とは接続しない、圧倒的な“奇妙さ”。天才を目の前にした時、凡人は理解が追い付かない。ただその“違和感”に、居心地の悪さを感じながら、恍惚の表情を浮かべるだけだ。
ブルーハーツのライブも、立川談志の落語も、菊地成孔のラジオも、鎮座ドープネスのフリースタイルラップも、WWEのブロック・レスナーも、全て違和感からはじまり、わたしのこころを掴んで放さなかった。
イカ天をきっかけに、社会に「たま現象」を生んだその伝説のバンドは、96年に柳原さんが脱退し、03年に解散した。
「たま」なんて知らなかった。昭和のマボロシだと思っていた(正確には平成なのだが)。先日、YouTubeを見ていて偶然出会った。イカ天に、「たま」に、空気の歪みに。不思議なものだ。もう存在しないバンドの、デビューの瞬間を見て、衝撃を受けているのである。
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そして、さよなら人類
「サルにはなりたくない」と何度も言った。しかし、最後には「サルになるよ」とつぶやいて終わる。わたしたちは、サルになりつつある。少なくともわたしは、日々サルへと近づいている。
誰かが決めたことを、そのままやっていれば生きていられる世の中だ。自分で決める必要はない。便利さが加速するに従い、考えごとを省けるようになってゆく。YouTubeなど、無料コンテンツを消費するだけで、何も考えず楽しく過ごせる。
求めるものが、AIによって与えられる。AIは“わたし”のご機嫌をとってくれる。興味がありそうなコンテンツを推奨し、クリックを促し、時間を消費させる。そこに、対話はない。
幻想や希望を抱き、何も実現しないまま、微笑みながら朽ち果てる。
わたしがギリギリ人間として留まっているのは、文章を書いているからなのだと思う。書かなくなったら、きっと終わりだろう。与えられたものだけを消費して、何も考えることなく、楽しく過ごす。問題はAIが解決してくれる。わたしたち人類が求めるしあわせとは何だろう。
AIに管理されたサルと植物の世界は、驚くほど平穏な日々なのだろう。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。