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人の数だけジェンダーがある

男らしさ、女らしさって何だろう?

恋愛において、男性が女性を好きになる工程と、女性が男性を好きになる工程が違うという話になった。それは感覚的な部分かもしれない。たとえば、男性は視覚優先で、女性は聴覚優先というような。

「気分が高揚するポイントが違う」という話にもなった。男性は肌を触れ合った(あるいは、視覚的に感知した)時、女性はムードやそこに至るまでのストーリーの中で。

なんとなくわかるような、わからないような。男性が求めるもの、女性が求めるもの。男性のこころ、女性のこころ。そこにはやはり差はあるのだろうか。でも、男性と女性でわけることなんてできるの?タイでは18種類に性別を分類するという。男らしさ、女らしさを考えること自体が少しずれているのではないだろうか。

人の数だけジェンダーがあるんじゃないかな。

ジェンダーをわける必要はなくて、そこにはその人の価値観や考え方があるんだ。「対話は一対一の関係性を構築する行為だ」とぼくは言う。一人ひとりの性があり、一人ひとりの思想がある。身体は二種類かもしれない。でも、こころは全て異なるんだ。

自分が目玉焼きに醤油をかけるからといって、みんな醤油をかけるとは限らない。ソースの人もいれば、何もかけない人もいるし、目玉焼きを食べない人だっている。目玉焼きに醤油をかけることを強要してはいけない。「醤油をかけること」前提で話を進めてはいけない。

人には人の価値観があって、人には人の乳酸菌がある。

そう考えるだけで、世界は広がってゆく。それは、外側の世界だけでなく、自分の内側の世界も。さぁ、世界を拡張しよう。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。