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NIGHT SONGS【広沢タダシ20周年へ向けて~TINY ROOMから世界へ~】

2020年7月11日、シンガーソングライターの広沢タダシはニューアルバム『NIGHT SONGS』をリリースする。このアルバムは世界に恐怖を与えたウィルスの災禍の下で制作された。絶望の淵に立ち、小さな部屋に一人こもって、美しい希望を形にした。

このアルバムが、この3ヵ月間の全てで。全部この中に詰まっているんです。

タイニールームで進化する広沢タダシ。それは、蛹から蝶へ姿を変えることと似ている。アルバムへ込めた想い、そして誰もがはじめての経験であった「ウィルスと過ごした3ヵ月間」について、インタビューした。

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Title

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タイトルの『NIGHT SONGS』。コロナウィルスの影響によって自粛生活がはじまり、予定していたライブは軒並み中止。一つの場所で人が集まることさえできない状況になった。そのような中、広沢タダシはYouTubeでのライブ配信をはじめた。平日の夜22時からおよそ1時間。そのライブ配信に「NIGHT SONGS」という名を与えた。現地点でその数は60回を超える。

外出できない。
それでも何かを発信したい。
その一つの案だった。

彼はそう答えた。

YouTubeライブは抵抗もあったし、どのようにすればいいのかということを模索しました。この場所で、たくさんの出会いがあり、再会がありました。「十年ぶりに歌を聴きました」という人が現れたり。普段の活動報告を含め、いろいろと配信してきました。

毎日、昼はレコーディングをして、夜はNIGHT SONGSで歌う。それは生活の一部となっていった。そこで生まれた〝出会い〟は決して計算されたものではない。偶然がもたらした、〝運命〟という名の果実だ。時を同じくして、アルバム制作がスタートする。

広沢
もともと3月から制作をはじめることは決まってきたのですが、それがちょうど自粛期間中と重なった。全てがコロナウィルスと連動したような形で。

嶋津
レコーディングとYouTubeライブが並走している状態ですね。意図的にやっているわけではなく、どちらの活動も互いに影響し合いながら進んでいった印象です。

広沢
YouTubeライブではファンの方々と交流しながら、アルバムの情報をリアルタイムで報告したり。

「今日はこの曲を収録した」
「東京からギターの音源が送られてきた」
「ロンドンからクマ原田のベースが届いた」

その辺りも含めて、みんなで一緒に進めていったアルバム制作だと感じます。そのYouTubeライブの「NIGHT SONGS」という名前をそのままアルバムのタイトルにしました。この名前を超えるタイトルはないだろう、と。

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いろんなタイミングが重なりました。市内にスタジオを借りていたのですが、考えがあって手放しました。自粛が解除されたちょうどその日、スタジオを出ることになりました。


TINY ROOM

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スタジオを引き払った彼は自宅に小さな防音室をつくり、そこで続きの制作をはじめた。自宅にある小さなスタジオ───タイニールームで。アルバムのはじまりに、同名のその曲はそっと置かれた。

広沢
自宅にあるスタジオ、この部屋はもちろん狭い。小さな部屋から世界を見て、みんなと繋がっている実感を抱いた。そんな三ヵ月だった。この曲は最後に書きました。「もう一曲書こう」と思って、書き足した。

嶋津
まさにこのアルバムを象徴していますね。

広沢
書いている途中で、これはピアノだと思った。鍵盤を弾いてみるとチューニングが狂っていた。調律師を呼ぶスケジュールもない。マイクを立てて、録音したらやはり音がズレていた。ただ、その音の狂いも含めて、小さな部屋の雰囲気が醸し出されていった。

嶋津
ゆらぎを含めて。

広沢
人と会えないので、レコーディングは全て一人の作業となります。スタジオはコントロールルームとプレイルームにわかれていて、ピアノにマイクを立て、自分が鍵盤の前に座ると「録音のスイッチを誰が押すの?」ということになる。スイッチを自分で押しに行き、鍵盤の前に戻ってきて弾きはじめる。演奏を終えると、音質を確かめるためにコントロールルームに行き、音量などを調整してまたプレイルームへ戻る。その繰り返しで。曲の中でギシギシ音を立てているのは、イスに座ったり、立ち上がったりしている音です。

嶋津
曲へ導入する「間」やノイズの質感にストーリー性がありますね。コロナウィルスという歴史的な出来事を風化させずに物語の中に落とし込んでいる。あえてその部分をカットしなかったということは、そこにも広沢さんの意図(メッセージ)を感じます。

広沢
そうですね。一人でつくってきた感じを残せたらなって。

この小さな窓の外
今日もあなたを待っている
いつかまた 会おうねって 
ずっと一緒にいるみたいに
From a tiny room

Communication

嶋津
ウィルスの影響で、強制的に環境の変化を求められたわけですが、アルバム制作においても当初予定していた構想とは異なる進み方だったのでしょうか?

広沢
東京のバンドを押さえていて、スタジオも用意していました。とりあえずバラしました。

嶋津
解散した後、そこから再構築してサウンドをつくっていったのですね。もともとはバンドと楽曲制作をしていく具体的なイメージがあったということですよね。

広沢
ありました。付け加えると、バンドのメンバーとコミュニケーションを取りながらみんなでつくっていこうと思っていました。僕のビジョンだけでなく、彼らのアイデアを含めて練り上げていくイメージです。

7月のライブツアーでは、そのメンバーでライブをする予定でした。それもできなくなった。ということは、「俺が一人でするのか」と。よくあるのは、自分でドラムをたたいたり、ベースを弾いたり、全ての音を自分でプレイするパターンがあります。僕はどちらかというとそのタイプではなく、テクノロジーを使って自分のイメージを具現化することに決めた。

シンセサイザーやいろいろな機材を使って作っていきました。弾き語りはEPシリーズなどもありますが、ここまで音数の多いものをつくり、10曲揃えたことははじめてかもしれません。

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でもね、やっぱり人とつくるということをずっとしてきたので、コミュニケーションの中で生まれるものってとても輝いていて。驚きがあり、新しいものが形になっていく実感がある。「一人で輝きを生む」ということは、とても難しい。誰とも話さない状態で、アイデアが浮かばないものはどうしても後回しになっていく。「どうしようか?」と考え込む時間が多かったように思います。

嶋津
その感覚は久々なのではないでしょうか?プレイヤーとしてだけでなく、〝プロデューサー広沢タダシ〟という顔もある。プロデューサー面では、これまでにプロジェクトチームのメンバーの良さを引き出してきました。ここにボールを投げれば、相手はどう打ち返してくるのか、という「対話」のようなセッションを繰り返しながら良い作品をブラッシュアップしていった。そのプロデューサー的な視点が相乗効果として、〝プレイヤー広沢タダシ〟をより大きく成長させたと思うのですが。その点を全て削ぎ取られたわけですものね。

広沢
そうかもしれません。自分しかいない。

嶋津
一人ひとりにボールを投げて、それぞれのメンバーが打ち返していく。そのセッションが建設的なアイデアや創作へとつながっていく。その喜びも、価値も知っている広沢さんが今までは指揮をとってきた。それを強制的になくした〝広沢タダシ〟はこの壁をどのようにクリアしたのでしょうか?

広沢
基本的に僕のスタイルは弾き語りです。極端な話、これが最も強い───これ以上は必要ないんです。つまり、「弾き語りで十分だ」という曲に対して、そこに別の要素をプラスにしていくということは非常に難しい。音数を入れれば入れるほど魂が抜けるのではないだろうかと。

嶋津
とても興味深い話です。音を重ねていく〝怖さ〟のような。

広沢
そう、弾き語りは歌とギターの二つの音しかありません。それゆえ、両方の存在感がシンプルかつ顕著に出ます。そこに音を重ねていくことによって、力のある音が薄まっていく。結局、僕の感性は一つだから。

そうなると「弾き語りで十分じゃないか」ということになる。他の音を加えても、結局は自分の音だから、「自分」を複数入れることで本来の力が薄まっていく危険性がある。それが他のプレイヤー───例えば、ドラムの人が参加すると、自分の感性とは異なる音だから共存できるんです。

嶋津
今までも、共同制作でいろいろな人と関り合いながらつくってきた中で、壁はたくさんあったと思います。その壁も、スキルの向上や経験値によって毎回超えてきたはずで。相手から打ち返されてきたものから反応を見たりして揺さぶりをかけていく。

今回は自分一人。アルバムが完成したということは詰まるところ「壁をクリアした」わけですが、この点を言語化するとすれば、どのように表現しますか?

広沢
例えば、「モジュラーシンセサイザー」という機材があります。鍵盤のない原始的なシンセサイザーです。普段は、アンビエントミュージックなどで使用します。結線して、つまみを調整して音を出すのですが、これって正確に音をコントロールできないんです。鍵盤であれば「ド」を弾けば「ド」の音が鳴るのですが、これは「ド」を出したいと思っても出せない。その「コントロールできない状態の音」を入れてみる。つまり、この機材を僕の持っている感性とは別の感性の人だと思って付き合う。思っていた音とは異なる音が出ます。

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<モジュラーシンセサイザー>

嶋津
偶然性を取り込んでいく。

広沢
そうですね。どこに何を繋ぐかでどうなるかわからない。とりあえず繋いでみるという感覚です。経験を積んでいけばある程度コントロールできるようにはなるのですが、鍵盤を弾けるわけではない。出た音に対してリズムをつくる。「パターンやグルーヴは良いけれど、この音ではない」となれば、リズムの雰囲気だけを採用して、別の機材で作りなおしてみたり。

嶋津
そのようにして揺さぶりをかけながら制作に活かしていった。『NIGHT SONGS』には、矢野まき、SINON、馬場俊英、クマ原田、高井城治、五十嵐あさか、岡本陽一、井高寛朗など、広沢タダシと関りの深いアーティストたちが参加していらっしゃいます。リモートでのアーティストとのやり取りはいかがでしたか?

広沢
おもしろかったですね。ただ難しい部分もある。遠隔だと細かいディレクションができないんですね。「もっとこうしてほしい」とニュアンスを伝えることも、プレイの内容もそうだし、相手がどんな音を録って送ってくるのかわからないんですよ。「思っている以上に音が硬い」とか「ちょっとノイジーだ」とか。

現場にいれば、そこで対応できるのですが、それができない。録音して音源を送るのにも手間がかかる。「伝える」というコミュニケーションの点が課題でした。今回、信頼するミュージシャンばかりなのでやり直しは基本的にはなかったのですが、思っていたものとは違ったということはいくつかありました。途中から、「送られてきた素材をいかに生かすか」という考え方にシフトしましたね。

嶋津
届いたものを尊重しながら。

広沢
カットしたり、一部だけ使用するというパターンもありましたが。「いかにおもしろがれるか」ということがテーマでした。

嶋津
広沢さんのアーティスト人生における集大成として、深く関わって来られた方が参加されています。その人自身の表現を知っていますよね。呼吸感もわかっているはずなのに、オンラインだとわずかなずれから齟齬が生まれる。

広沢
ありますね。反対に「もっと外してくれよ」ということもあります。「広沢タダシはこういうものを欲しがってるだろ?」と置きにくることもある。そうじゃなくて、もっとユニークなものがほしかったりもする。

嶋津
音だけでなく、その手前にあるスタンスのすり合わせも重要になりますね。揺さぶりをかけるクリエーションの提案。遠くへボールを投げてほしいということを伝える必要がある。

広沢
それがリアルで同じ空間にいないことの難しさだと感じました。ただ、みんなすばらしかったです。



Metamorphose

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タイニールームは、音楽の図書館のようだった。小さな空間に音楽があふれ、その中で音の洪水を浴びた広沢タダシの身体は反応し、感性は進化していく。蛹が蝶になるように───。

広沢
あとは、人の音楽を聴く時間を増やしました。掘り起こすように「この人はどうしているのだろう?」と思って集中して聴いた。

嶋津
それは、普段生活をしていてBGMで流すような聴き方とは違うわけですよね。制作期間ということもあり、感度が高まった状態でと想像します。それらの曲とどのように向き合ってきたのでしょうか?

広沢
普段の曲の聴き方とは全く違いますね。制作期間中は自分に課題があるから、例えば「あのパートにはまるだろうか?」ということを考えながら。明確な目的を持って聴きます。もちろん曲が違うので、その通りにはならない。

嶋津
「引き出す力」も必要ですよね。Spotifyのように無限のような楽曲の中から選び取って、「このパーツは参考になりそうだ」ということを引き出せる力。

広沢
そうですね。「このパターンを使えるかもしれない」「音色はこの方が良いかもしれない」「音数が少ないのにリッチに聴こえる」など、いろいろ聴きながらイメージを膨らませていきました。

YOU ARE MY SHELTER

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独りで雨の中立ち尽くす
僕の前に君は現れた

コロナウィルスによる自粛期間中、「NIGHT SONGS」はみんなにとっての雨宿りの場所だった。一人であろうが、家族がいようが、それぞれの「孤独」がある。電波ではあるが、同じ空間でつながり、支え合った。広沢タダシが開いた大きな傘の下で、肩を寄せ合い雨風を凌いだ。

広沢
雨が降った時に、誰かの雨宿りをする場所に自分がなれたらいいなって。誰かの力になるというか。

嶋津
ざんざん雨が降る中を、広沢さんが傘を開いてくれた。

広沢
誰かを入れてあげようと思って傘をさしているわけじゃないんですよね。雨が降ってきて、ずぶ濡れになると大変だから開いた傘で。でも、自分だけじゃなくて、少し大きめの傘をさしておこうよって。どうせなら、一人分じゃなくて、入れる人は入ってきてほしい。

嶋津
その大きな傘は誰もが持てるわけじゃない。

広沢
それくらいの温度感でみんなが入ってきてくれたことはラッキーだし、そんな大きな傘を持つ自分でよかったと思っています。

嶋津
世の中がざんざんぶりになると、みんな濡れるじゃないですか。もちろん、もともとのフォロワーの方は広沢さんが歩いている後ろにいたので、傘をさした時に入りやすかったのですが、大雨の中で偶然入ってきた人ももちろんいる。「ここに雨宿りの場所があった!」って。〝救い〟となる出会いですよね。

広沢
そこはインターネットの良い部分が出ましたね。最後にこうやって弾き語りで原点に帰るような。

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You are my shelter from the rain
目を閉じれば 君の胸で雨は上がる
近くにいても 離れていても
いつでも君は そばにいてくれる


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小さな部屋で、広沢タダシは創作を続けた。浴びるように音楽を聴き、来る日も来る日も演奏をした。その歌声は電波に乗って世界中の一人ひとりに届く。蛹の内側でドラマティックにイマジネーションを膨らませる。蔓延するウィルスの下、人とのつながりとコミュニケーションの重要性に気付いていく。いつしか、蛹(タイニールーム)に入り込んだ小石は、真珠のような輝きを手に入れていた。そして、『NIGHT SONGS』というアルバムが生まれた時、彼は翼を手に入れた。

世界の片隅で作られたマスターピースが、あなたの手に届くことを祈る。


*収録曲*

1:TINY ROOM
2:LIKE A RIVER
3:彗星の尾っぽにつかまって
4:⾵待ち停留所(*矢野まき)
5:⽉が微笑む夜に(*SINON)
6:これから夢を⾒るところ(*馬場俊英)
7:ZOMBIE
8:彼⽅
9:圏外の町
10:YOU ARE MY SHELTER



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