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全てつながっている

昨夜、ナースあさみさんと「対話」について話した。その前日、シンガーソングライターの広沢タダシさんと「芸術」と「創造」について話した。その前日、サトウカエデさんと「良い文章」について語り合った。

どの時間も僕にとっては大切なひとときで。集中力が高まった人が複数集った空間は、きめ細やかなクラスター構造で、視界は浮き立つようにクリアになる。この空間が好きだし、そこに流れる時間も好きだし、そこで生まれた思考や言葉たちが愛おしい。何より、「生きている」ということを実感できる。

それはミュージシャンにとっての「ライブ」なのかもしれない。「Live」とは、実感を伴って生命力を感じる瞬間なのだと思う。いろんな人と会い、様々なテーマで話すけれど、それは別の内容であるようで実は見えない線で繋がっている。「良い文章」について考える時、僕たちは「芸術」や「創造」についても考えるし、「対話」についても考えることとなる。どのパーツが入れ替わっても同じことで、料理、音楽、映画などであってもそれらの要素は機能する。

今ここで話している空間の言葉が、昨夜の空間で生まれた言葉とリンクする。その時、見えなかった糸がはっきりと可視化される。思考を止めなければ、あらゆるものが「見えない糸」で繋がっていて、それはある瞬間を境に美しいラインが現れることを僕たちは知っている。高い集中力の密集する「場」には求心力が働く。それらのいくつかの「場」で生まれた思考や言葉は、磁石のように互いを引き寄せ、イマジネーションを拡張させる。

「教養」というものは、「可視化された糸の数の豊かさ」なのだと思う。脳内のシナプスのように互いを繋ぎ合わせて、祝祭的な音を立てながら小さな「爆ぜ」を次々と起こしていく。波打ち際で起こるプリズムは光を乱反射させて、そこに虹を生む。見えないものが「見えた」瞬間に、心の中で新たな感覚が生まれる。それが「Live」ということなのかもしれない。

僕はそれが起こる「場」をつくっていきたい。高い集中力が密集する「場」。その空間を体験した後に、異なる景色が見えるような。余韻が長く、終えた後も思考に残り続ける時間。その一つひとつの「場」がエチュードになるといい。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。