「読むこと」は教養のエチュードvol.6
2020年を迎え、僕からプレゼント。全ての作品を紹介させていただきます。結果発表はその後。みなさんが送ってくれた僕宛の手紙にお返事を。「わたし」と「あなた」がつながる。それはコンテスト開催の応募要項に書いたことの証明。
このコンテストにおいて、僕は「最良の書き手」でありながら、「最良の読み手」であることに努めます。
それでは、『「読むこと」は教養のエチュード』のvol.6です。
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36.家路
奥村まほさんの作品。第一回教養のエチュード賞で副賞を受賞した彼女のエッセイ。やっぱり、いい。ふるさとの風景に溶け込んだり、浮き出てきたり。それは彼女であり、彼女の面影。「面影」とは何だろう?それは形あるものではない。どこか、なんとなく、ふいに、感じるもの。僕たちは、あらゆる場面で面影を感じている。あの「感覚」を描くことは、想いを言葉にすることと似ている。
まほさんは、風景と情景を言葉で繋ぐ。その心象風景に生まれた揺らぎは「面影」となって、風景の中に現れる。言葉が「面影」の背中を押す。その感覚が心地良い。
彼女の言葉に宿る豊かな物語を感じる。そこには、言葉が持つ「意味」以上の情報量がある。それは俳句、あるいは、詩に近い体験だ。風景と情景を閉じ込めたような言葉。読み手の心に届く頃、それははらりとほどけ、光景が広がる。しおらしい蕾が花開くように、甘く、瑞々しく。
「よし、いっちょ本気を出すよ」を醸すまほさんの文章が大好き。
37.舌はことばを知っている
ふみぐら社さんの作品。料理研究家の土井善晴さんの言葉や振る舞いから、生き方を考える。そこには、ふみぐら社さんの「生きること」に対する美意識が現れている。
僕はふみぐら社さんとしっかりお話をしたことはないのだけれど、以前から「思考のベクトルが似ている」と勝手に感じている。だからこのnoteに書かれた内容がとてもよくわかる。大切にしたいものも、きっと似ているんじゃないかなって(実際に以前、このnoteで僕も土井さんを含めた好きな人たちの「上品なラフ」について書いたことがある)。内容は違うけれど「惹かれるところ」が似ている。会って話すと、きっとそれほど言葉を重ねなくてもお互い言いたいことがよくわかるような気がしている。
ただ、ふと思う。ふみぐら社さんは、多くの人に「自分と一緒だ」と思わせることができる書き手なのかもしれない。みんな彼の文章の出だしで惹かれ、気取らないユーモアにくすりと笑い、小さな共感と疑問を重ねてゆき、最後には大きくうなずいている。
だとすれば、とんでもない書き手だ。そして、それはきっとそうなんだ。親しみやすいラフさと等身大のラブがそこにはあり、「今日を大切にしよう」とほどよい緊張感と心地良さを与えてくれる。
38.消費者が文化をつくる
ヤギワタルさんの作品。ヤギさんの文章を読むと、読み終わる頃にはいつも身体がPCに近づいている。「前のめり」というやつだ。それくらいヤギさんの「問いかけ」はおもしろい。
この作品は「消費についての価値を改めて見直してみよう」という内容。教養のエチュード賞というコンテスト抜きで、このテーマでみんなで語り合いたい。noteの書き手はもちろん、あらゆる作り手や表現者は今一度立ち戻って考えてみる必要がある。僕もこのことについて書きたいことがある。みんなにも、このnoteを読んで感じたことや考えを語ってほしい。僕のメンションをつけてくれたら全部読みに行く。
今、限られた文字数の中で言えることは、夏目漱石が『私の個人主義』の中で言っていた「魚屋が魚を売ることと作家が文章を書くことは同じである」みたいな話が近い(うろ覚えだから違うかもしれない)。つまり、それぞれが「自分の得意」の持ち回りによって経済活動が生まれる。僕の考えでは、創作表現も一緒なんじゃないかということ。「書く」ために「読む」のではなく、「書く」ために「食べる」だったり、「聴く」「観る」「体験する」というような。
そうなってくると、日々の生活に対する美意識がテーマとなってくる。つまりは、上で紹介したふみぐら社さんの記事ともリンクしてくるわけで…
これ以上はここでは書けないので、改めて書きたいと思う。このように、ヤギさんの「問いかけ」には人に語らせる力がある。ぜひ、読んで、語ってほしい。
39.短歌で12ヶ月を詠む #素敵な日本語で言葉遊び 「その色で世界を唄う」
りょうさんの作品。一年をひと月ずつ短歌で詠む。何よりもまず、文章の構成がていねいで心を掴まれる。その印象からの延長線上にあらゆる小さな要素に対しても心遣いを感じる。それは扱う言葉だけでなく、言い回し、読み手への配慮。読んでいるだけで気分がいい。きっと素敵な人なのだと思う。見るだけで安心感が訪れる不思議なnote。
短歌も素敵で、何より楽しそうに詠んでいるのがこちらに伝わってくる。りょうさんのこの作品を読んで、短歌や俳句に挑戦したくなった。以前から読むことは好きだったけれど、なかなか書く勇気がなかった。でも、こうやって一年を豊かな色彩で編めば、こんなにも素敵なnoteができあがるんだと思うと、一歩前に踏み出したくなる。
40.想うだけで涙が溢れるひと
ごはんさんの作品。また、すごい作品と出会ってしまった。何だろう、まとまっているわけではない。いや、まとまるはずはない。喉にまで込み上げてきた想いを、精一杯整理しながら、言葉に落とし込み、並べていく。堰を切ったようにあふれ出す感情が、洪水のように僕の心へと流れてきた。
文章を読みながら、泣いた。それはここに登場する人物のことを想う涙であり、何より、これを書いている最中のごはんさんのことを想う涙だ。きっと、この文章はごはんさんが泣きながら、ぐちゃぐちゃになって書かれたものに違いない。「書き手」でもある僕にはそれが痛いほどよくわかる。
一つひとつの言葉から、行間から、その想いが伝わってくる。この文章は、誰にも書けない。「書こう」と思って書くことができるものではない。この作品を読むことができてよかった。この体験をありがとうございます。
41.「好き」「特別」がわからない
ひのさんの作品。「好き」ということについて。ドイツの哲学研究家エーリヒ・フロムは『The Art of Loving』という本を書いた。直訳すれば「愛の芸術」。ただ、アートには技術という意味がある。だから「愛の技術」というのが正しい意味だ。ちなみに邦題は『愛するということ』。
そこには「愛する」ということは技術で修得できるということが書いてある。つまり、後天的なトレーニングで獲得できるということ。
きっと、ひのさんはフロムのこの本を読んだことはない。しかし、その中で自身の体験や、感情の整理から、近しい感覚を手に入れていく。この作品の中で紹介するマンガを通して感じた言葉や、まばゆいほどではない希望と、冷静な視点にリアリティを感じる。その素直さは作品の魅力であると同時に、ひのさんの魅力だ。そして、この感覚に共感する人は多いと思う。特に「人として好きだけど、踏み出せない」と場面は、僕も強く共感した。
42.1番のプレゼントは君だよ、プー
七屋糸さんの作品。クマのプーさんを好きになった思い出。プーさんの哲学的なセリフを自身の体験と照らし合わせて、想いを語る。七屋さんの想いを読みながら、「自分はどうだろう?」ということを同時に考える。プーから七屋さんへ、七屋さんから僕へと、記憶と想いの連鎖が広がる。
好きなものを「なぜ好きなのか?」ということを改めて考えることは価値がある。実は、それが生きる中で、自分が大切にしていることだったりする。 日々の何気ない取捨選択の根っこと紐づいているものは、意外にもそこにある。
七屋さんは、作品の中でまさにそれを形にしている。最後の一行に、胸がきゅんとした。
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vol.7へと続く
▼「読むこと」は教養のエチュードvol.5 ▼
1月22日、大阪のイベントで登壇します。僕から3名様にチケットをプレゼントします。どうぞご応募下さい。みなさんと会えることを楽しみにしています。
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