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アートのお話から、ラフォーレの広告問題についてのお話、そして「デザイン」のPRまで。バラバラのようで全てが繋がっているアートディレクター千原徹也の頭の中。

テーマはアートについて。美術におけるコンテクストを学ぶ中で、避けて通ることはできない存在はマルセル・デュシャン。彼は『泉』というセンセーショナルな作品を世に送り出し、既存のアートの枠を壊してコンセプチュアル・アートという概念をつくり上げた。

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〇×〇=▢という式の、▢を出すのがデザインやアートディレクションの仕事であり、アートは〇×〇という問いかけの部分です。

嶋津
音楽ユニット『トーキョーベートーヴェン』としてレコードデビューをされますが、興味深いのは、「レコードデビュー」ということ自体がウンナナクール(千原徹也がクリエイティブディレクターを務めるアンダーウエアブランド)のプロモーションになっているという点です。

「アートディレクターが曲を出す」ということも含めて、表現が既存の枠組みを超えるという意味合いでは、その動きもまたアートと言えるのではないかと思いました。


千原
「概念を崩すこと」が大事だと思います。次のステップに行くにはね。レオナルド・ダ・ヴィンチが絵を描いていた時代というのは、絵画は宗教や記録のためということが目的だったと思います。

カメラというテクノロジーができるまでは、写実的に描くことで、状況を記録する必要がありました。写真が現れて、芸術家たちは抽象画というムーブメントを起こし、絵画は「記録」ではなく「アート」に変わった。それって写真というメディアが生まれたことにより、絵画の概念が変化したということですよね。

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例えば、アンディ・ウォーホールも大きな概念を変えた人です。「アート=一点もの」という考えを壊して、大量生産さえもアートに変えた。複製のポスターを「偽物である」と認識していたことを逆手にとり、〝ポップアート〟と呼ばせたことは、彼がまた一つアートの概念をつくったことを意味します。

もともと「概念をつくろう」と思っていなくても、結果的に概念をつくると、それは〝アート〟になる。そこがアートのおもしろいところだと思っています。〇×〇=▢という式における問いかけの部分をつくっていく作業です。

嶋津
まさしく先日のラフォーレの広告について言及した問題提起ですよね。一石を投じて、世の中の反応を観察する。


千原
そうですね。ただ、少し難しかったのは、それを「言葉で試みた」という点です。「言葉」は「作品」というコミュニケーションよりも強いので、丁寧に扱わなければいけない部分でもあります。ただ、僕は言葉もアートになると思っています。

それはある種、時代を飛び越えればあそこで生まれたやりとりもアートに近い。それが、リチャード・プリンス(他人のInstagramの投稿写真にサインすることで作品化した)がしたことも現代のコミュニケーションをアートに変えた瞬間です。大きな概念で物事を捉えていけば、新しいアートを生み出す見方を発見できる。

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嶋津
僕はこれまでずっと千原さんにインタビューをしてきて、あの記事に書かれていた考えは以前からよく知っていました。それは実際に僕が記事に書いて、千原さんの言葉として発信し続けてきたことでもあります。ただ、あの記事のように多くの人へは届かなかった。そこから学んだことは、「胸を打つ言葉だとしても、タイミングや表現によって届き方は変わる」ということです。

千原さん自身、そこには意識的な働きかけがあったのでしょうか?

千原
ある意味、自分の中では実験でもありました。今までメディアに対して強い言葉を使うことはなかったのですが、あの記事では意識的に強い言葉で問いかけました。そのことによって自分自身も勉強になった。

予想以上の反響があり、そのおかげでいろいろな意見を聴くことができました。「あの記事に共感しました」という声が届いたり、一方で「ああいう風に言われるのは癪だ」という声が届いたり。割合で言えば、9割の人が共感してくれて、ネガティブな声は1割ほど。

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あの記事ではそこまで書きませんでしたが、ADC(東京アートディレクターズクラブ)ほど権威のある団体が他にはないんですね。例えば「広告の戦略としてこれだけ効果があったんですよ」といったような他の基準値で広告賞を決める団体があったとしたら、デザインに対してまだまだいろんな見方の広告ができると思うんですよ。

権威のある団代が一つしかないというのは、「その良さがわかる人にしかわからない」という状況を生みます。つまり、マニアックになって行かざるを得ない。

後日、審査している人の話を聞いたのですが、毎回似たような議論は起こるようなんです。「またこの作品が出てるよね。これを選ぶといつも同じになってしまう」って。審査員たちもみんな同じような疑問を抱えているのだけど、結果としてそこに並べられた中から芸術的なパワーを感じるものはその作品なわけで。

だから、いつも同じような作品が選ばれてはいるのですが、「その作品より魅力的な作品が出てきていないことも現実だ」と。

その話を聴いて納得しました。一方で、出てこない理由には、そのレースに参加することにおもしろさを感じていない人が多いということだと思うんです。だから、「参加する人が今までと同じ」という状況が生まれている。

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そのことを僕が声に出して言わなければいけない理由は、デザインの価値が一般人にわからないとデザイナーのギャラが上がらないからです。

あの記事を投稿した時に、9割の人が僕の意見を支持したということは、現状を良くないと思っている人が9割いるということですよね。9割の人が今の仕組みを良くないと思っているデザインでは、デザイナーのギャラは当然上がらない。

「デザイン」ってPRするものなのに、デザイン自体のPRを誰もしていないことに問題があります。だから、もっと若い人たちがADC賞に出したいと思うようなデザイン自身のPRが必要だと僕は思っています。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。