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おいしい空気をつくりたい

旅に出て、人と話して、おいしいものを食べる。

食事は、環境に依存する。どうしても食材や調理法ばかりに目が向きがちだけど、味わっているのは何も料理だけではない。目の前に広がる光景はもちろんのこと、ぼくたちはその場に漂う空気を一緒に身体の中に取り込んでいる。おいしいのは、調理された食材だけでなく、空気も含まれているのだ。

タイ料理が苦手だった。酸味が強くて、薬味が臭くて、スパイシーで、なぜか甘い。食べられないことはないけれど、わざわざ好んで食べようとは思わない。はじめてタイを訪れた時、それまでの認識がガラガラガッシャンと崩れた。トム・カーガイ、カオマンガイ、トムヤムクンにパッタイ。どれをとってももれなくおいしい。食欲がそそる、そそる。

そこではじめて、なぜあれほどタイ料理が苦手だったのかに気付いた。答えは、タイの気候にある。日差しが強く、高温多湿の環境だからこそ、熱を取り除くための酸味や甘味を身体が欲しているのだ。汗で流れたエネルギーを補填するため、あるいは、サポートするための味付けで。タイという環境に身を置いてこそ完成する料理なのだと知った。あの場所にいれば、パクチーの香りもそれほど気にならないから不思議だ。

ぼくたちは、料理と共に空気を食べている。

それは、人と会って話すことも同じ。

相手が吐いた息を、こちらが吸ってまた吐いて、その息をまた相手が吸って……を繰り返す。互いの呼吸によって空気が互いの色味に染まってゆく。共に一つの空気をつくること、それがグルーヴを生む。

旅に出て、人に会うことは、人と空気を同時に味わうことになる。自分の中に蓄積されているものとは異なる情報が大量に流れ込んでくるのだから、おもしろいわけである。その異物たちを迎え入れて、それらと融合する楽しみがそこにはある。旅に出ると自分が変わるのは、自分の中に蓄積される情報が変わるから当然のこと。

オンラインのコミュニケーションには臨場感がないと言うが、それは言い換えれば「空気がない」のだ。全く同じ食材の、全く同じ調理法でつくったタイ料理を、それぞれの場所で食べていることと同じ。そこにはタイの空気が欠落している。空気は目に見えないから、誰も気づかない。ミュージシャンのコンサートと配信の印象が違うのは、空気の共有と創造の有無にある。対話を研究することは、おいしい空気のつくり方を研究することなのだと思っている。

ぼくたちは空気を食べる生き物で、空気を味わう生き物で、空気をつくる生き物だ。だからこそ思うのだけれど、おいしい空気をつくりたい。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。