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ライク・A・ローリング・ストーン

石の上にも三年。

そんな諺が昔流行したみたいだ。一つのことを継続せずに、あちらこちらへ手を伸ばしていると大成しない。そのような戒めに使われていたようだ。イギリスには同じような意味として「A rolling stone gathers no moss.」という諺がある。転がる石には苔が生じない。さざれ石だって、苔が生すまで同じ場所にいてひとつのことに専念することを「美」と捉えたのだから。

これがアメリカへ行くと、真逆の意味になる。優れた人は絶えず活動しているので苔のような余計なものがつかずに常に輝いている。「ローリングストーン」は自由の象徴であり、自由であり続けるための言葉。

そして今、石は「上に乗る」ものではなく、「転がす」ものであることが重要になっているような気がする。新しいものを観察して、触れて、感じて、体験してみる。実用的に活かしながら、新しいアイデアにつなげていく。それは石を転がしながら試行錯誤しなくてはいけない。そうしないと、めくるめく時間の波に取り残されてしまうから。

石の上にも三年。

牧歌的な時代だったと、人は郷愁を覚えながらも、どこか苔生す「潤い」を記憶の中に発見する。雫が染み渡るエバーグリーンに落ちた陽だまりで、燦然と輝く光の束に、愛おしさと慈しみの風味を思い出す。そう「苔」は、決して無駄なものではない。神秘的な深淵を内包したファンタジックな「美」である。

苔の美しさを知る「ローリングストーン」でありたい。慌ただしい日々を送っている。時代に取り残されないように、新しい「何か」を形にするために。人権を尊重されて、誰に制限をされることもなく、転がり続ける石だ。一つのところでじっと立ち止まっているわけにはいかない。別に「目的を変えろ」と言っているわけではない。目的地までの道のりは、無限大だということを知ることが大切だということ。石の上に三年座っていても、ひとつの方法しか知る術がない。数々のルートを知るためには、自分が石になって転がる必要がある。その中から「選ぶ」こと。それが自分の人生を生きるということではなかろうか。

今日も生きる。

ライク・ア・ローリングストーン。




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