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ギフトで生まれるコミュニケーション

神社が好きです。

特に信心深いというわけではないのですが、神社仏閣の醸す空気が好きです。何とはなしに、そこで佇む時間はこよなく愛おしく。よく掃除の行き届いた境内は、結界が張られたように「ぴんっ」とした空気に満ちています。視界がクリアになるといいますか、背筋が伸びるといいますか。なんとなく、そう、なんとなくね。

ぼくは歴史を学ぶことがわりと好きで、日本のこれまでの軌跡を辿ると、その道のりは神道や仏教を抜きには考えることはできません。瞑想やお香など、精神性とカルチャーにも興味があります。それはおそらくバーテンダーであったことに由来しています。日本人が「カクテル」について考える時、「茶道」について考えないわけにはいきません。「茶」という生活文化に精神性と儀式を加えて、「茶の湯」という芸術に昇華した千利休。

〈侘茶〉という概念は、武野紹鷗の詠んだ俳句なしには語ることはできないですし、茶室や庭、器について考えることは日本の美意識をあらためて見つめ直すことになります。そこにはいつも、神社仏閣があり(精神性を含めてね)、その佇まいや移ろいやゆらぎにどうしてもこころが奪われる。

知識や物語としての神社仏閣に惹かれ、美意識や精神性としての神社仏閣に惹かれ、研ぎ澄まされつつも心地良い空間としての神社仏閣に惹かれるわけです。そこにいるだけで、気持ちがいい。

それは「教会」という空間に入った時に、神聖なものを感じることと似ています。建築物だけでなく、光、音、香りによって幾層ものレイヤーで空間を構築していく美しさ。

何の話なのかと言うと、「ぼくは神社仏閣が好き」ということです。

遠くに出かければ、必ずその近辺の神社仏閣に足を運びます。もっと言うと、毎月一日には近くの神社に手を合わせにいきます(「信心深い」ということになるのかな?)。何をしているのかというと、深呼吸。瞑想に近い感覚です。それから、手を合わせて、感謝を伝える。最近起きたトピックを報告します。「誰に?」と訊かれると、「神様」と答えるしかないのですが。

「素敵な出会いがありました。ありがとうございます」「家族が仲良く健やかに過ごせることができています。いつもありがとうございます」「先日のイベントが滞りなくうまくいきました。ありがとうございます」

と言った具合に。

ぼくはわりとポジティブな性格なのですが、この習慣がそうさせているのかもしれません。どんなことが起きても、「ありがとうございます」とわりと前向きに捉えることができる。自分だけでは到底解決できないことが起きても、誰かが手を貸してくれたりする。「手を貸してくれた人がいました。ありがとうございます」と報告することで、それはポジティブなイベントになる。

ぼくの座右の銘は「日々是好日」。すべての日が好い日である、という禅のことばです。晴れの日も、雨の日も、すべての日が好い日だと考えることができれば素敵ですよね。ちなみに、ぼくのマガジンのタイトルも「日々是好日」です。

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さて、ここからが本題です。

ぼくはこの一年、「ギフト」という概念についてずっと考えてきました。先日の感謝祭でも、マガジン・サークルのメンバーのみなさんとも考えの共有と意見交換をしました。たくさんのアイデアが集まり、これからそれを整えて準備をします。

それとは別で、個人的にメンバーのみなさんへ定期的にギフトを贈りたいなぁと思いまして(思いついたのは今日なのですが)。いただいたサークル費の一部などを使ってそういうおもしろい遊びができればと思っています。たとえば、(ここだけの話なのですが)今とある方にインタビューをさせていただこうと考えているのですが、その方は革製品などもおつくりになっているんですね。ちょうど来月の天赦日に、インタビューをさせてもらい、そこでお財布を購入してギフトにする。そういうことをすると楽しいなぁって思ったんですね。財布をつくっている人も、財布をもらった人も、ぼくもうれしい。

ぼくも「ギフトがないかなぁ?」という理由で、誰かに会いにいくきっかけができます。個展にも積極的に足を運べる。そういうことをやりたいし、その後のお話をみんなから聴きたいし。いいよね。

今回は、そのはじまりです。

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「繭が風を手に入れ、シルクとなった」 対話のこと、文章のこと、考えるということ。

「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。