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短歌を知らない人に届けるために、ぼくたちができること【Last Nightオンラインバーvol.46】

昨夜のオンラインCafeBarDonnaでは、武田ひかさんと一緒に「短歌をしていない人に、短歌を届けるため」の作戦会議を開きました。

短歌の魅力について語り合うことからはじまり、いかに日常で触れる機会を増やして行くのか、そして、それが日々の暮らしの楽しみにつながり得るのか、について意見交換をしました。

魅力的な短歌は、ドロップのように口の中で溶けて、リッチな香りを広げ、長い余韻を残しながら消えてゆきます。それを手にした時に、頭の中に光景が広がり、自然と感覚が想起され、ひとつの「体験」として通り過ぎてゆく。

ことばの連なりによるリズムとメロディ楽しさや、それらがいきいきと踊り出すユーモアや、光景がワープする仕組みや、視点と表現によって世界を拡張させる頼もしさなどを感じます。光景を切り取り、ことばへと落とし込む、それだけではなく、五・七・五・七・七というシンプルなルールの中で、「いかに概念を崩していけるのか」という果敢な挑戦が静かに行われています。

そのような歌に触れることができた時、目の前の世界が広がるのと同時に、自分自身の内面の世界もまた広がります。一首の中に、短歌についての、またはことばについて、あるいは自分についての可能性の広がりを発見する。

日々の穏やかな楽しみが、フレキシブルな歓びが、ことばへの親しみが、人生を少しずつ豊かにしてゆく。そんな気がします。

短歌の世界にいる人はそのようなことをぼくよりもずっと深く知っているのですが、触れたことのない人は意外と何も知らなかったりします。学生時代に国語の授業で習った和歌のイメージで止まっている人がほとんどではないでしょうか。

文化の彩りを豊かにするために必要なことは、枠を狭めて深さを追求するよりも、「知らない人に、その魅力を伝えること」の方が重要だったりします。参加人数が増えれば、環境が刺激を与え、自然と豊かな成熟につながってゆく。これは短歌の世界に限ったことではなく、あらゆるフィールドに言い得ることだと思います。「わからないから不安」というよりも、気軽に「好きだ」と言える環境を整えた方が広まりやすいように感じます。

そのために、何ができるのかを考えることは、とても価値のあることだと思いました。「あれはどうだろう?これはどうだろう?」と言い合うことは、とても楽しい時間でした。

今、武田ひかさんは『まいつき短歌祭』というコンテストを立ち上げていらっしゃいます。

このプロジェクトを実現してゆくお話を聴いているうちに、胸が打たれました。何かの形で応援できれば、それがひとりでも多くの誰かに届くことにつながるのであれば、と、ぼくの運営するマガジン・サークル『シルキーな日々』『教養のエチュードしよう』の資金から16,500円をサポートさせていただきました(購読者のみなさん、いつもありがとうございます)。

普段から「ライフスタイルにギフトを」ということを考えているぼくにとって、これも一つのギフトになり得るのではないかという想いもあります。応援の気持ちと、「ひかさんならきっと、たくさんの人を喜ばせてくれる」という期待の両方です。みなさんも、「まいつき短歌祭」に参加したり、上の記事をシェアしたりすることで応援していただけるとうれしいです。

また、「ひかさんの短歌と岡田環さんのクリエーションをぼくが編集して、ギフトをつくろう」という楽しいお話も生まれ、ギフトの新しいアプローチも進んでいきそうです。これからもみなさんと作戦会議していけるとうれしいです。

いろんな出会いが生まれ、物語がはじまる。そんなことを感じたオンラインCafeBarDonnaの夜でした。


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「繭が風を手に入れ、シルクとなった」 対話のこと、文章のこと、考えるということ。

「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。