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祈りを込める

書き記したいくつかの文章は、自分へ宛てた手紙。

陶芸家が土をこねるように、思考や感情を押して、ほぐして、一つにまるめてゆく。「こねる」の中で、だんだんわかってくることもあるし、遊ぶような時間も、なじませた“ことば”たちの、そのなめらかな肌触りも好き。

等身大の自分だけじゃなく、「こうありたい」という願いも含めて、その手紙は綴られます。そこに希望が宿らなければ、それは思想になり得ない。もしかするとその手紙は、戸惑ったり、ためらったり、くじけたりする“現在地にいる自分”へと送る「思想の断片」なのかもしれません。

だとすれば、「こねる」は、祈りを込める行為でもあるのでしょう。

その個人的な祈りが、わたしではない誰かと共鳴することがあります。その人たちから、今度はわたしの元へ手紙が届きます。自分へ宛てて綴った手紙が、誰かの目に触れ、こころに触れ、感情を共有したり、その人自身の思想や過去と呼応する。「わたし」から「あなた」へと主語がゆるやかに切り替わってゆく。これほどうれしいことはありません。

「わたし」への手紙は、いつしか「あなた」への手紙へ。それは、わたしが文章を書く喜びを味わう瞬間でもあります。祈りには、そのような力があるのかもしれません。



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