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今野良介さんとの対話パーティ

先日、編集者の今野良介さんと対話パーティをひらいた。

テーマは「対等な関係性の築き方」。対立関係でもなく、上下関係でもない、対等な関係性。“編集者”という立場で、数々の著者と本を共につくり、世の中に送り届けてきた今野さんだからこそ聴いてみたいと思った。そこに“答え”などはないのかもしれない。ただ、対話を通して共に考えること、答えを探すことに価値がある。今野さんとの対話の時間は、こよなく静かで、否定も肯定もされない等身大の“ロマンティックさ”が醸されている。このムードを味わいながら、あの日のことを思い出していた。

昨年の九月末に、『会って、話すこと。』の刊行に伴い、著者の田中泰延さんと編集を担当した今野良介さんをゲストにお迎えして対話パーティをひらいた。

コロナ禍となり、人と会えない日が続く。オンラインの打ち合わせが日常となり、ある意味、直接会わなくともコミュニケーションが取れる便利な世の中になった。ただ、誰もがどこかに物足りなさを感じていたし、不満のようなものを抱えていた。情報を伝達するだけならば、それでいいかもしれない。ただ、わたしたちは合理的でもなく、効率的でもない、ある種の“無駄”な部分に想像以上の信頼(のようなもの)を置いていたのだ。「会って、話すこと」の重要性。そして、泰延さんと今野さんの関係性の築き方に、わたしは惹かれた。そこに書かれた内容、そこで話された内容ももちろんそうなのだが、二人の関係性に在り方にわたしたちは焦がれていたのだ。

あの夜は、わたしにとって特別な時間となった。

それから間もない、十月半ば。

泰延さんと今野さんが、大阪で新刊のための書店巡りをしていることをTwitterで知った。もしかしたら二人に会えるかもしれない。急いで仕事を終わらせ、今野さんへ連絡した。

ちょうど東京へ帰るために新大阪へ向かっている最中だという。わずかな時間だけれど、会えるかもしれない。わたしは十七年ものの「響」のボトルを二本手に取り、妻と共に新大阪へ向けて車を走らせた。

大阪で田中泰延さんと別れた2分後に、嶋津さんから連絡がきた。彼は、私が乗る新幹線が発つ直前25分のために1時間かけて新大阪に来た。2人で。 私は2人のことを何も知らない。なのになぜか懐かしいと思った。私の中で錆びついた何かを今も毎日研いでいるような、2人の蒼い煙を背に纏い改札を抜けた。

今野さんのツイートより

会えたことがうれしかった。

そこに、ことばは要らない。わたしは「響」のボトルを渡した。泰延さんと今野さんが、シングルモルトが好きなのを知っていた。だけど、あの日の対話パーティはブレンデッドウィスキーのような心地良い調和があった。豊かな個性の二人の中に“わたし”が加わったことで生まれた風味なのだとすると、これほどうれしいことはない。

「今度は、リアルな場でお二人と対話パーティしたいです」

感謝のことばとその想いを今野さんに直接伝えることができてよかった。ただ、泰延さんにはまだ渡せていないし、伝えることができていない。当然、実現できてもいない。

想いは保留されたまま、時間だけが経っていった。

記憶は蘇りながら、今野さんとの対話は深まり、ことばと重なってゆく。

対等な関係性を築くこと。それは目の前の相手だけに限らない。進む方向を定めて、己の意志で一歩ずつ踏み込んでゆくことの大切さ。それが、これから先の「どのような関係性を築いてゆくか」の姿勢に大きく関わっている。その信念や想いに軸があれば、「対等な関係性」も築きやすくなる。「いかに生きるか」「どう在りたいか」を考え抜いた結果として、わたしたちは“対等であること”を選んだはずなのだから。

相手を尊重しながら、自分も尊重して、本当に良いモノをつくること。それは、強く意識しなければいとも簡単に破綻する。盲目的に崇めたり、見下したり、崇められたり、見下されたり。対等ではなく、尊重の在りかがどちらか一方になった時、“聴く耳”は不在となる。

進んでゆきたい方向には、その在り方では前に進めない。

「“対等な関係性”は、幻想かもしれない」

今野さんはそう言った。しかし、その希望の灯があるからこそ、わたしたちは前進できるのである。未来に訪れる「“誰か”との関係性」は、現在の蓄積の中で自然と育まれてゆく。“今”をないがしろにしていると、その甘美な未来は決して訪れないのだ。

コロナが奪っていったものはたくさんある。

果たされていない約束、保留された物語をたくさん抱えて生きている。その間にも、生活は続く。その中で、それぞれがそれぞれの想いを形にしてゆく。離れていったり、繋がっていったり。中には、もう会えない人もいる。移動しながら一人ひとりが“人生”という物語を編んでいる。

わたしだけではなく、すべての人が抱えている“保留されたまま”の何か。

すぐには形にならないかもしれない。
だが、進む方向は自分で決めることができる。
その一歩を踏み出すのは、誰でもない“わたし”なのだ。

今野さんとのロマンティックな夜は、またたく間に過ぎていった。
わたしたちは理想論を語り合ったのではなく、かけがえのない“今”をいかに過ごすかについて共に考えたのだと、この文章を書きながら気付いたのだった。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。