抱きしめることを学ぶ
犬を三匹飼っている。
トム、ジュリア、クチュ。老犬二匹に、ベビー一匹。クチュが家にやってきた時、既に彼の小さなからだはハードな線虫に蝕まれていた。彼は文字通り生死を彷徨った。一命はとりとめたものの、安堵は束の間、彼の病は再発した。ぷつりと糸が切れた。
彼が家に来てから、心配のない日はなかった。積み重なった心労は、目の前の絶望に立ち上がる気力を与えてくれなかった。わたしたち夫婦は何度も話し合った。正解のない問いについて。その寄生虫は、犬はもちろんのこと人間にも感染する。
老犬二匹のいのちを考えた。わたしたち夫婦の人生を考えた。クチュのいのちを考えた。ブリーダーに返すと、きっと彼は生きられない。そこでは彼は“いのち”である前に“商品”だから。かかりつけの病院は、寄生虫が再発した時点で匙を投げた。
クチュについて語り合ったいくつかの夜を過ごした。
どうしても、生きてほしかった。それはわたしが、腸の病を抱えて産まれてきたからだと思う。生死を彷徨い、大きな手術を二回して、奇跡的に生き残った。わたしはクチュに、“わたし”を見ていた。
妻の親友が近くに住んでいてしばらくの間、クチュの世話をしてくれることになった。いくつか病院を回り、信頼のおける獣医と出会った。延長戦がはじまった。
クチュの病が再発した時、一緒に過ごしていた空間から離れたところにゲージを組み立て、そこへ移した。その時、お座りしながら彼はわたしを見つめていた。とても不安な表情を浮かべて。あの姿が忘れられない。
わたしの病も、四歳の頃に再発した。大腸をたくさん切った。両親は何を想い、何を願い、何を捨て、何を忘れ、何を恨み、何を信じたのだろうか。
妻の親友の家でクチュに会う度に、あたたかい気持ちときしむような痛みが訪れた。問題を抱えた仔犬を家に迎えた彼女の度量の大きさは計り知れない。
病院では、定期健診と薬の投与。「駆虫薬」と記されていて、「クチュ」という名を与えたからだろうか、と責任を感じた。「この子、クチュという名前で産まれてからずっと駆虫薬と付き合ってるんです」と言うと、獣医は「だからクチュと名付けたんですか?」とでも言いたいような不思議そうな表情を浮かべていた。
「CWTCH」。ウェールズ語で「愛情を込めて、ハグをすること」という意味。ただ、抱きしめるのではない。そこに居心地の良い空間が現れる。祈りを込めて名付けたいのちを、今はもう、抱きしめることさえできないのだ。
彼は「生きる」をあきらめないでくれた。獣医の力、妻の親友の存在、そして、深い愛情で受け止める妻のおかげで、またもや寄生虫に勝った。ただ、今回は大喜びできない。前回の再発の件で、わたしたちは喜ぶことに対してひどく慎重になった。それをしてしまうと、しゃぼん玉のようにあっけなく弾けてしまいそうで。
家で走り回るクチュ。彼を何度も抱きしめる。なくなった分を取り戻すよう、そして、どこかへ消えてしまわないよう。わたしは、愛を込めて抱きしめることをまさに今、学んでいる。小さないのちは、自分の病を忘れたかのように好奇心で力いっぱいにかがやいている。
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