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ひらやまさんへの手紙

あれは、昨年の暮れ。

一通のDMが届いた。相手はcotreeのひらやまさん。

これって、どうしてなんでしょうね、嶋津さんから見た景色がとても気になり、教えていただきたく!

その話は、長くなりそうだ。僕は年内に、手紙を書くと言って少しだけ返事を待ってもらった。


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話の流れを整理しよう。そのDMの前に、僕はあるnoteを読んだ。

ひらやまさんという人柄や言葉に、人がどんどん集まっていく理由がとてもよくわかります。

このnoteの感想に添えたコメント。その言葉がひらやまさんの関心を惹いたようだ。そして冒頭のDMが届いたというわけだ。

怒涛の締切追われ、「年内に手紙を書く」という約束は果たせなかった。お詫びの言葉を送ると「大丈夫ですともー!」と軽やかな返事が届いた。年が明け、僕は仕事と教養のエチュード賞の選考に終われていた。「ひらやまさん、あの約束まだ先になりそうです」と伝えると、「楽しみにしてますー!無理せずー!」とゾウが楽しそうに水浴びしているみたいな返事が届く。彼の言葉はいつも、軽やかで、清々しい。「楽しさ」を帯びた言葉が弾むようにしてこちらへと押し寄せる。

いろいろなことが整理できた今、ようやく手紙を書くことができる。


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ひらやまさんへ

あなたのことを僕はTwitterやnoteでしか知りません。でも、僕はあなたのことをよく知っているような気がします。実際に会ったことがないのに。体温のある言葉を交わし合ったことがないのに。僕には、あなたの「見ているもの」が見えているような気がします。おかしな話ですね。それは、ある種の妄想かもしれません。でも、何ていうのでしょうか。そこにはちょっとした自信があるんです。だって、僕が考えていることと、ずいぶんと重なる部分が多いから。

どこから話をしましょう?言いたいことはたくさんあります。筋道としてはやはり、あなたのnoteに添えた僕のコメントの真意ですよね。

ひらやまさんという人柄や言葉に、人がどんどん集まっていく理由がとてもよくわかります。

まずは「読むこと」について書きましょう。「読む」という行為と向き合うこと無くして、ひらやまさんについて語ることはできません。ひらやまさんについて考えることは、「読むことについて考える」ということと同じであるような気がします。

年末にあなたは「いいねをつけてくれた人のオススメnoteを紹介する」という企画をしましたね。結果的に2日間で330人を超える数のnoteを読み、紹介しました。あっぱれです。

多くの人が笑顔になりました。そして、周囲では「読むこと」についての議論が生まれたように記憶します。「読み手の重要性」ということがささやかれていましたが、それだけでは答えとしては半分です。

僕の考えは、大晦日に書いたnoteに記述してあります。

僕は「書くこと」よりもずっとたくさん「読むこと」をしていた。「話す」ことの何倍も「聴くこと」をしていた。それは比べものにならないほど。僕の最大の武器は「書くこと」でも「話すこと」でもない。「読むこと」であり「聴くこと」だった。

そして、そのことを教えてくれたのはnoteだった。

noteは「発信」ではなく、「対話」だと思った瞬間から世界が変わる。

大晦日だというのにごめんね。ちょっと難しい話をする。答えはいつだって「自分」の中にある。でも、正解はいつも「相手」の中にあるんだ。そして、僕たちは自分の中にある「答え」と、相手の中にある「正解」を融合させるべきなんだ。理想的な対話というのは、そういうこと。

一つ言えることは「対話」はいつも「読むこと」「聴くこと」からはじめるといい。

多分ね、文章が上達するコツというのは「信頼のおける読み手」がいることなんだと思う。「信頼のおける書き手」には熱をもらえる。noteには一人二役がたくさんいる。

僕は、みんなの「信頼のおける読み手」でありたいと思った。その想いは「教養のエチュード賞」の選考の中で次第に強くなっていった。


僕が重要だと思っていることは「読み手の存在」ではなく、「〝信頼のおける〟読み手の存在」です。優れた読み手には、「この人に読んでほしい」「この人ならわかってくれる」と思わせる力があります。

これは確かDMでも書きましたよね。僕の中の答えとして「読むこと」は「人を想うこと」です。「想う」は想像力の「想」と書きますね。相手の気持ちを推し量る行為。つまり「読むこと」は、相手の心を想像する行為なのです。

ひらやまさん。あなたの「読む」という心構えに対して、僕は共感しています。他者の「読む」と、ひらやまさんの「読む」は意味が違います。だから、ただ「読めばいいのか」と、手当たり次第にざっくざくいろんな人の文章を読んだからと言って、あなたのように人が集まってくるわけではありません。

たくさん読んでも人気が出ない人の理由は、自分の利益を真っ先に考えた「読む」だからです。つまり、「読むこと」の本質的な価値である「人を想うこと」が抜け落ちている。

ひらやまさん、あなたは「人を想っている」でしょう。あなたの人柄や言葉や振る舞いを見ていればわかります。あなたはちゃんと、相手の表情を見て、相手の言葉を聴いて、相手の心を想像している。

多くを語らない時もあると思います。一人ひとり、その相手によって相応しい態度や言葉や醸す空気をなじませる。沈黙がいいと思えば、語らない。慰めてほしい相手ならば、必要な言葉をそっと差し出す。楽しみたいと思っている人の前では、きらきらした笑顔を見せる。だから、日向ぼっこをする気分で人が集まってくる。僕の言っていることがよくわかるでしょう?

先月、あなたの勧めでcotreeのコーチングを受けました。


笑ったのは、アセスメントテストの結果がひらやまさんと同じだったことです(あなたの過去のnoteを拝見しました)。意外と僕たちは、自分の意志を通したいところがあるんです。

ここからは想像の話です。ひらやまさん、あなたにも自分の想いを「伝えたい」という意志が前面に出ていた時期があったのではないでしょうか?そして、相手に「伝わらなかった」過去があったのではないでしょうか?

そして、どこかのタイミングで気付いた。「自分の考えを通すためには、相手の想いに溶け込まないといけない。相手を尊重することからはじめてみよう」と。

僕たちは、影響を受け合ったというよりも、全く別のところで、同じ考え方が偶然育まれていったような気がしています。きっと僕の方が思考に重心があり、ひらやまさんの方が心に重心がある。だから誰かの「想い」を受け止めるのはひらやまさんの方が上手だと思っています。

僕たちは別々だけれど、理想とする領域の重なりが広い。だから、お互いの気持ちがなんとなくわかるのだと思います。

だから、僕が書いたこの文章をあなたにはよくわかってもらえると思うんです。これが今の僕の全てだと言ってもいい。

答えはいつだって「自分」の中にある。でも、正解はいつも「相手」の中にあるんだ。そして、僕たちは自分の中にある「答え」と、相手の中にある「正解」を融合させるべきなんだ。理想的な対話というのは、そういうこと。

答えは「自分」の中にあるけれど、正解は「相手」の中にある。僕たちは相手の心を想像して、正解を探す(その正解を相手が気付いていない場合もあります)。それをすくい上げて、自分の意志と絡ませる。その瞬間、自分と相手が一つになるんです。人の笑顔のためにやったことが、自分の幸せに繋がる。

それは損得や利益の話ではありません。全員が幸せになる方法を探すためには、相手の声に耳を傾ける必要があるのです。そのように思考が切り替わった瞬間、全ての景色が輝いて見えます。きっと、あなたの瞳にも、世界は美しい煌めきを放って映っていることでしょう。

僕の想いはここに書いています。


少しばかり長い手紙となりました。僕がお伝えしたかったことは以上です。この長い文章を一言でまとめるならば、「ひらやまさんはnoteを通して対話をしている」ということになります。一言でまとめてしまうと味気ないですね。だから、お手紙を書く必要があったのです。

では、この辺りで失礼します。いつか、お会いいたしましょう。


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「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。