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仕事ができる人

仕事ができる人の共通点は、視座を自在に移動できること。

「視座」とは、物事を見る立場のこと。あらゆる立場をなめらかに行き来できる人は、常に複数の選択肢を持っている。たとえば、一軒のハンバーガー屋さんがある。店長がいて、アルバイトがいて、お客さんがいる。それぞれの立場によって、考えていること、求めるものは異なる。当然のことながら、店の人とお客さんの見えている景色は違うのだけれど、同じ店側に立つ人間でも、アルバイトの見ている景色と、店長が見ている景色は違う。アルバイトの感覚で言えば、接客なのか、調理なのか、掃除なのか、目の前にある与えられた役割を果たすことに集中できる。だが、店長は店全体のお客さんの流れから、スタッフの動きを把握し、売上のことも計算しながら戦略を立てていかねばならない。歯車としての機能と、全体としての機能。抱える課題や不安は、それぞれの視座によって内容や質は変わってくる。

もっと言うと、ここに店のオーナーが現れた時、さらに今までになかった視点が加わる。「視座を高めろ」という声をよく耳にするが、ラフに説明すれば、それは「上の立場から見える世界を見ろ」ということなのだと思う。

わたしの思う「仕事ができる人」の共通点は、視座を上げることはもちろん、下げることも、横移動することもできる。わかりやすく言えば、ありきたりな表現でつまらないのだが「相手の気持ちを考えることができる」ということ。

価値観のモノサシをたくさんストックしていて、相手の立場や背景に身を置き、想像して判断できる。視座が高いだけではなく、上下左右を自由自在に移動する。目の前の相手を、全体の一部ではなく、「個人」として見ている。

空間的な「立場」の概念からでも、思想や文化など「個人」の概念からでも、自然に溶け込み、相手の目に重ね合わせるようにして世界を見ることができる。先ほどのハンバーガー屋さんの喩えで説明すると、お客さんの視座も、アルバイトの視座も、店長の視座も、オーナーの視座へも移動できる。さらには、「立場」の枠を踏まえながら、「個人」として捉え、目の前の一人ひとりの背景や感覚にまで想像力という触手を伸ばすことができる。

あたり前のことだが、「お客さん」と言っても一人ひとり異なる性質を持った人間なのだ。価値観も違えば、その時々によってコンディションも違う。マニュアルの枠を越え、目の前の相手を観察し、受け止め、想像する。その過程の中で、複数の選択肢が現れ、その中から最適な判断を下すのだ。

わたしが言いたいことは、「視座を自在に移動せよ」ということではない。それは本質的な価値の前提に過ぎない。「視座の移動」がもたらすものにこそ、わたしは慈しみと美しさを感じる。それは、相手の能動性を引き出す働きにある。

「視座を自在に移動する」と言っても、相手のことを完全に理解することなんてできない。できないのだけれど、決して無駄ではない。相手の立場からモノを見るためには、相手の価値観、存在そのものを尊重することからはじまる。相手を否定したり、軽んじていては、その視座に到達できない。その姿勢で、観察し、想像し、思考する。当然のことながら、自然と相手に対する敬意が醸し出される。本質的な「美しさ」や「愛おしさ」をここに感じるのだ。どこまでもニュートラルに受け止める姿勢に、その試行錯誤の量に、わたしはしびれるのである。

その美しさは、相手にも伝わる。そこから、相手の中にもまた「伝えたい」という想いが生まれる。この微かな「能動性の発露」からコミュニケーションは紡がれてゆく。お互いが一歩ずつ、歩み寄ることで、かけがえのない関係性にかわるのだ。

それはまさしく「対話的なコミュニケーション」である。




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