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千原さんにはじめてインタビューした時のことを今でも覚えている。その時、彼は僕に「〝誰と出会ったか〟が人生だ」と言った。

以前、死にかけた体験をしたんですね。

その時に走馬灯のように、バーッと人生を振り返るのかと思ったらそうじゃなかった。僕が見たのは、出会った人が全員出てきた───今までの人生で出会ったみんなが。その時、「誰と出会ったかが人生なのかも」と思ったんです。

(〝きゅーと〟と〝きょーき〟)


〝千原徹也〟を構成するものは、幾千もの出会いの積み重ねだ。出会いは、いつだって物語を孕んでいる。一人のクリエイターの歩んできた道を、あらゆる出会いを元に紐解いていく。


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憧れ

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生きていく上での財産は〝出会い〟だと思います。
仕事やお金も大切ですが、僕はいろいろな人に支えられてここまできました。


空想の中での「憧れとの対話」によって、千原少年は〝自分の中の宇宙〟を豊かにしていく。


藤子不二雄

千原
僕が生まれて、最初に「おもしろい」と思ったのは藤子不二雄先生のマンガでした。幼稚園の頃から月に一度、母に本屋へ連れて行ってもらいマンガを買ってもらっていました。絵のタッチが好きで、上からトレースしてキャラクターを描いたのを覚えています。

藤子先生の代表作は『ドラえもん』や『パーマン』なのですが、中にはSF短編集があって───SFはサイエンスフィクションではなく「すこし、ふしぎ」の略です。最後は地球に一人っきりになってしまったりするようなシリアスな内容の作品集がありました。あのキュートなタッチで、ブラックユーモアを描いている。

基本的に子どもは、「絵がかわいい」というところから入るのですが、このシリーズで僕は「物語のおもしろさ」に興味を抱きました。まるで〝大人のマンガ〟を読んでいる感覚です。

このSF短編集は手塚治虫先生の影響だと想像します。『火の鳥』が描くイメージです。手塚先生がトキワ荘を出た後に、上京してきた二人がそこに入った。二人にとって〝手塚治虫〟は憧れの存在でした。僕も藤子先生の源泉を遡るようにして手塚先生へ辿り着き、『火の鳥』にも影響を受けました。

SF短編集にも『火の鳥』にも共通して映画的なおもしろさがあって。マンガを読んでいるというより、映画を観ているような感覚でした。脳みその中で「映画になったらどうなるんだろう?」と切り替えながら読んでいた記憶があります。

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スティーヴン・スピルバーグ

小学生になると映画に興味を持ちはじめます。中でもスティーヴン・スピルバーグは僕にとって大きな存在でした。「スピルバーグ製作総指揮」というだけで映画が大ヒットする。『バックトゥザフューチャー』や『インディージョーンズ』など、親に「絶対に観たい」とお願いして映画館へ連れて行ってもらっていました。

そこで必ずパンフレットを買ってもらうんですね。パンフレットを隈なく読むと、映画のことに詳しくなります。他の作品のことを知ることができたり、そこから派生してプロデューサーの名前やそこに関わっているクリエイターの名前を覚えていった。「このクリエイターのAの作品とBの作品はスピルバーグさんと一緒につくったものなんだ」とかね。

そのようにして作品に関わったクリエイターたちのマップを脳みその中につくっていった。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。