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教養のエチュードTalk.2〈藤原ヒロシ〉

花伝書としてのエレガンスとパンク

インテリジェンスがあり、ウィットに富み、ミステリアスでクール。時代によって活躍の場を変え、その時々でムーブメントを起こし、カルチャーを作っていく。藤原ヒロシ氏の生き方。彼の哲学こそ、今の時代に最も求められる力なのではないだろうか?

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嶋津
Louis Vuitton、Moncler、Starbucks……世界的なブランドや企業とコラボレーションして、世の中にプロダクトを送り出していらっしゃいます。その中で日本を意識したクリエイティビティの要素はありますか?───例えば、日本的な特色を意図的に入れ込むというような。

藤原
全くしないです。

嶋津
そこに理由はあるのでしょうか?

藤原
ナショナリズムが嫌いだからじゃないですか───嫌いというか、興味がない。日本人とか、日本代表というよりは〝人間〟としてやりたい。


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〝藤原ヒロシ〟を言語化するのは野暮である。彼の美しさはその佇まいの中にある。点ではなく、そこにあるムード。音楽やアロマのように目に見えない要素。ファッションで言うならば、プロダクトそのものではなく、それが纏うオーラにこそ本質がある。

それは、一言で表現すれば〝幽玄〟。能楽や茶の湯の世界で使われてきた言葉であり、「もののあわれ」よりも優美な印象を含む。物事のはかりしれない趣き深さやそのさま。言葉に表れないほのか余情の美しさ。言語化することは無粋であると承知した上で、書く「藤原ヒロシの花伝書」。

彼の洗練された言葉。その重みは、本音で自分自身と向き合ってきた蓄積によるもの。



教育

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fragment design主宰であり、クリエイティブディレクター、シンガーソングライター、さらに京都精華大学ポピュラーカルチャー学部の客員教授を務める。

嶋津
京都精華大学で客員教授をされていますが、どういったお考えがあってのことでしょうか?

藤原
「若い人と話したら、楽しんじゃないかな」という邪な考えです。「教えよう」とかは一切考えていませんね。

嶋津
授業の内容はどのようなものでしょうか?

藤原
お茶飲んで話しているだけです。その中で一緒に何かを作り上げていく感じですね。例えば、半年を通して展覧会をつくったり。

嶋津
個人的に、教育を通して別の誰かがヒロシさんの思想を学び、そこから派生して次の時代をつくるクリエイターを育てることで再現性を確かめているのではないかと考えました。ヒロシさんがマルコム・マクラーレンの思想をインストールしたように。

藤原
どうですかね。それはもう、その人たちの勝手というか。僕は人にものを教えるのは得意ではないし、どちらかというと好きではない。だから教えているつもりはないです。教育も学校も嫌いでした。

嶋津
教わることも嫌いだったのでしょうか?

藤原
いや、教わることは大好きでした。でも、学校では何も教わらない。どちらかというと学校以外の部分、社会に出てからの方が学びは多かったですね。

嶋津
因みにどのような学生時代だったのでしょうか?

藤原
学校内で一番出席日数が少なかったです。ギリギリで卒業しました。勉強も嫌いだったし、例えば歴史の授業を受けていても何も頭に入ってこなかった。でも、大人になって興味が出てからだと、解読力も得ていて、それがとても楽しくなってくる。だから、無理にそこで勉強をしなくてもいいんじゃないかと思いますけどね。

嶋津
今、興味関心のあることに注力した方がいい。

藤原
そうですね。大人になって、興味が湧いた時に学べば、好きだから吸収することも多いと思います。


花伝書

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世阿弥は自身が能楽論をまとめた『風姿花伝』の中で美しさを〝花〟に喩えた。また10代には10代の花が、20代には20代の花が、40代には40代の花が。つまり、年代によってそれぞれ花の見せ方は異なると、花伝書の中で述べた。

「花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり」

世阿弥曰く、花とおもしろさと新鮮さは同じ意味だという。


嶋津
『風姿花伝』の中での世阿弥の言葉とヒロシさんの言葉が重なりました。10代にしかできないこと、20代にしかできないこと、その年代によって光るものがある。それは表現だけでなく、音楽やモノにまで言い得るのではないかと。

藤原
それは良いと思います。そういうことをしている人が好きですね。おもしろいですよね、新しいことや知らないことを学んでいくことは。デビューというものはいくつになっても美しいと思います。自分はともかくとして、人がデビューしたり、育っていく過程は。

嶋津
その瞬間にしか存在し得ないものですね。

藤原
「この年齢だからできること」だったり、「今だからできること」というのをしっかりとやっている人は羨ましいし、カッコイイと思います。無理していたり、焦っていたり、「今これが流行っているからやっている」とか「昔好きだったからオレできるよ」というのではなく、純粋に〝今自分がこれをやりたい〟と思っていることが大切で。「これをやることに意義がある」と思ってやっている人は誰であれ、とても良いと思います。

嶋津
ヒロシさん監修の著書『丘の上のパンク』にて

“カタログの隅に載っていた商品が、ときに寝かせ頃に、ときに時代より一歩先に、藤原ヒロシの世界に置かれることで独自の輝きを増す”

という表現が印象に残りました。DJをされる際の選曲においても同じような感覚だと想像します。そういった「輝く瞬間を見定めて世の中に出すこと」というのは経験によるものですか?

藤原
そうですね。経験───あと、天邪鬼。一般の人がやるように「新しく買ったものを飽きたらメルカリで売る」というより、新しく買ってもしばらく着ないということはよくあります。

結構服を買うんですけど、2年経ってはじめて着ることも珍しくありません。意図的にそうしているわけではないのですが、「さすがに今は着れないよな」というものでも、ある程度時間が経過してからだと「そういえばあれを着よう」ということはわりとありますね。

嶋津
2年経って、服のデザインが時代に合ってきたという。

藤原
「今ならこれ着れるかも」という。そこではじめてタグを切る。そういう作業も楽しくて、僕は好きですね。常に「そういえばあれ着たいなぁ」というのはあるから、あまりモノを売ったりしないタイプですね。

審美眼

嶋津
審美眼を教えることは可能でしょうか?

藤原
無理じゃないですか?「選ぶ」という行為はそれぞれの趣味なので無理なのではないでしょうか。でも、枝分かれするポイントというのはいくつかあって。子どもの頃でもそうだと思います。

仮に好きなアーティストがいたとして───ゴレンジャーでも、ヒーローでも、アイドルでも何でも良いのですが。何かを好きになった時に、そのアーティストの名前が入っていたり、ツアーで売っているようなTシャツを着たいか。あるいはその人が普段何を着ているかを知って、それを着たいか。

まず一つ目の枝分かれのポイントとして、そこで大きく違います。そこからより深い領域で選択をしていくか、それとも浅い領域で選択をするのかによって、同じ対象物に影響を受けていたとしてもアピールポイントがそれぞれ変わってくる。

言葉

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嶋津
以前取材させてもらった京都精華大学でゼミ生を中心に企画された『THE PANEL』の中でも感じたのですが、ヒロシさんの言葉がとても美しくて。

藤原
本当ですか?w
初めて言われました。

嶋津
難しいことをごくシンプルに、かつ美しくお話になる印象です。

藤原
それは嬉しいですが、あまり気にしたことはないです。

嶋津
あの時、9名のパネリストがディスカッションするので議論中に話が複雑にもつれる部分も当然あり。それをヒロシさんが「今の論点はここなんじゃないの?」という風に交通整理をされていて。レイヤーの異なる話題を、本質的な要素を抜き取りつつ穏やかにコントロールされていました。客観的な視点と、本質を見出す点が非常におもしろく。

藤原
本質かどうかは分かりませんが、正直に思ったことをわりと言うタイプですね。ぐちゃぐちゃになっていればその都度、色んなことをできる限り俯瞰で見ようにはしていますね。自分のことを含めて。

嶋津
言葉という意味で、影響を受けた人や本はありましたでしょうか?

藤原
特に思いつかないですね。強いて言うならばパンク───ピストルズとマルコム・マクラーレンには影響を受けました。

内観

「自分にしかできない文章を」

そのような想いでインタビューに臨んだ。これまでに数えきれないほどの人が藤原ヒロシ氏の言葉を言語化し、彼について語った。他のインタビュアーと同じ質問をしても仕方がない。「教育」の視点から藤原ヒロシ氏の再現性についての仮説を立て、インタビューの瞬間を迎えた。

対話を進めていくにつれて、僕が用意してきたものが全て、的を射ていないことに気付いた。彼は再現性を望んではいないし、また、彼のようになろうとしても決してなれない。彼のようになろうと思えば、〝藤原ヒロシ〟の美意識を模倣する、または思想をインストールするベクトルに向かってはいけない。

答えは自分自身の中にあるのだ。

嶋津
今はSNSでヒロシさんの日常を垣間見ることが可能になりました。世の中よりもご自身の中にある世界や価値観を大切にされている印象で。ハイブランドの展示会からカップ麺まで。潔いほどのフラットさを感じます。ライフスタイルの上に仕事が位置している感覚というか。世界的なプロジェクトでさえもその延長上にあるような。

藤原
それはあると思います。

嶋津
世の中よりも内面の価値基準を重視するようになったのはいつからですか?

藤原
昔からですね。

藤原ヒロシ氏は自分の中の確固たる〝花〟を知り抜いている。それは自分と向き合い続けてきた証。全ては自分の中の宇宙にある。仮に、この「藤原ヒロシの花伝書」の中で一つの答えを示すならば、それは───究極的に、〝花〟を知ることである。

決して外に答えを求めることなく、常に自分自身の中に答えを求める。自身のフィルターを通して「何が美しいか」を追求すること。彼のような人間が他にいないのは、自分自身の中に答えを追求し続けたからに他ならない。世界中のトップクリエイターが彼とコラボレーションを望むのもまた、彼が世界で唯一の存在だから。

それは、クリエイティブの領域だけでなく、世の中における立ち位置的な意味合いでも唯一無二なのだ。

嶋津
Louis Vuitton、Moncler、Starbucks……世界的なブランドや企業とコラボレーションして、世の中にプロダクトを送り出していらっしゃいます。その中で日本を意識したクリエイティビティの要素はありますか?例えば、日本的な特色を意図的に入れ込むというような。

藤原
全くしないです。

嶋津
そこに理由はあるのでしょうか?

藤原
ナショナリズムが嫌いだからじゃないですか?嫌いというか、興味がない。日本人とか、日本代表というよりは〝人間〟としてやりたい。

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〈彼以上に物事をフラットに、そして自分の内面を軸に、世の中を観察している人間はいない〉

藤原
日本には良いところがいっぱいあるから好きは好きだけど、〝日本人として〟という考えはありません。

嶋津
人類として、人間として。そういう意味ではコラボレーションする相手とのインターフェースを考えることはない。

藤原
全くないですね。



藤原ヒロシ氏にとって、花は常にマイノリティにある。ムーブメントを作り、その力が主流になりはじめた途端、惜しみなくそれを捨てる。精神としての〝パンク〟。権力やマスに対するアンチテーゼ。それを彼は「天邪鬼」と呼ぶ。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。