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インタビューの神様

今年、シンガーソングライターの広沢タダシさんが20周年を迎えます。

それに伴い、広沢さんと所縁のある人物にインタビューをして、ミュージシャン「広沢タダシ」を浮き彫りにしていく『interviews』という企画がはじまりました。ぼくはインタビュアーとして関わらせていただいています。今でかれこれ20人ほどをインタビューしました。

広沢さんとの出会いや印象的なエピソード、そして、「広沢タダシ」の魅力について。この企画のおもしろさは、あらゆる角度から光を当てることによって「広沢タダシ」の像が立体的に浮き上がってくるところです。それは広沢さん本人が語ることばでは表現できない重層的な味わいとなります。「広沢タダシ」というタイトルの群像劇のように、それぞれのリズムとメロディが息づいていて、それらを繋ぎ合わせることでハーモニーが生まれる。

ぼくは今までに広沢さんにたくさんインタビューをしてきました。音楽のこと、創作のこと、ことばのこと、表現のこと、ライフスタイルのこと、美意識のこと、哲学のこと、生き方のこと。もしかすると、今までに広沢さんが受けてきたインタビューの中で、最も多いインタビュアーはぼくかもしれません。

紛れもなく「広沢タダシ」をよく知る人物の一人であると自負しているのですが、そのぼくでも、この『interviews』を通して、今まで知らなかった「広沢タダシ」と毎回出会います。その一つひとつのエピソードと、一人ひとりのことば、その行間からあふれる「何か」が彼というミュージシャンの本質であるような気がします。インタビューを集めて、編集して、再構築する中で、見えてくるもの。それを、つくり、感じる。これほど楽しい体験はありません。

『interviews』をはじめて、「広沢タダシ」をより好きになり、敬意の念がより厚くなりました。人と人のつながりの中で見えるもの。それは物語という形式を通して、感情や感覚を引き出していく小説に近い「体験」があります。それは、ぼくにとってもかけがえのない財産です。

きっと、インタビューの神様という存在がいて。その神様は、ぼくに何かを見せようとしているのだと思うのです。インタビュイー(話し手)は、鏡を持って目の前に座ります。ぼくは、その鏡越しに、向こう側の世界を覗く。その断片的な風景を繋ぎ合わせて、世界を再構築する。一見無関係だと思われるパーツが、それぞれにリンクした瞬間、インタビューの神様の存在を信じずにはいられないのです。

ぼくはただ神様の声に、従うのみ。

昨日のインタビューは、ギタリストの押尾コータローさん。あの日の、二人による音楽での対話が、ことばによってあらためて語られました。一つだけ言えることは、何かを極めた人のことばは、常に普遍的な概念として語られるということです。

公開される日が楽しみです。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。