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一年で最も、月が美しい夜に

中秋の名月。

一年で最も月が美しいとされるこの日。
シンガーソングライターの広沢タダシさんと夜のひと時を過ごした。
先日、誕生日を迎えた広沢さんのお祝いを兼ねて。

箕面のとあるカフェ。フランス語で〝感情を込めて〟という意味の音楽用語が店の名前。音楽が奏でられる場所では、そこで起こる全ての行為にその音の色調が影響を与える。演奏と調理は親和性が高い。律動と旋律の調和は時間の経過によって紡がれる。それは料理の中で行われるひとつひとつととてもよく似ている。

食事をしながら音楽の話をした。
そこから文学の話、絵画の話、身体性の話、心の話へと軽やかに展開する。広沢さんとの対話はいつもおもしろい。


ターニングポイント

僕は広沢さんに質問した。
人生には「ここを逃してはいけない」という瞬間がある。広沢さんの場合はいつだったか?
具体的なことは書けないが、そこで語られた言葉が印象的だった。

「作品と向き合った時間」

いろいろな人にインタビューする中で、似た質問をすることがある。
たいていは「あの現場で…」「あの人との出会い…」「あの作品で…」という答えが返ってくる。「ターニングポイント」というだけあり、それはドット(点)として語られる。
しかし、広沢さんは違った。「作品と向き合った時間があります」と答えた。貪るように本を読み、音楽を聴いた。一年か二年かは分からない。「自分の作品」を見つめることが、作品と向き合うことではない。森羅万象から気付きを得て、自分の作品に昇華していくことを意味している。
その一まとまりの期間を「ターニングポイントだった」と言った。

広沢さんには才能がある。神様からのギフトだ。
最初から周りの人よりも高く飛べたし、軽々と遠くへ羽ばたくことができた。「作品と向き合う時間」は、その才能に圧力をかけた。その領域は拡張したし、密度は濃くなった───より、自由になった。

イニシエーションという言葉がある。
通過儀礼、つまり人間が成長していく中で、次のフェーズへ突入するための儀礼だ。ある部族ではお互いに闘わせることもあるし、刺青を入れたりすることもある。
ターニングポイントとは〝偶然の出会い〟ではなく、イニシエーションの期間のことを呼ぶのかもしれない。爬虫類が皮を剥いで、新しい肌として生きていくように、僕たちは脱皮しながら階段を上っていく。肌の下に新しい皮を形成しはじめ、それを自ら破り、より頑丈に、より大きくなっていく。


圧縮

トリコチーズが美味しかった。
それはベイクドチーズケーキの名前。あたたかいジャスミンティーを飲みながら、銀のフォークで小さく切って、口へと運ぶ。その一口に圧縮された情報量は膨大だった。広がりと余韻。宇宙的な感覚のものに人は感動する。

「全て書き直したくなるんです」

今、取り掛かっている小説について僕はそう話した。あと少しで書き終える。何度も推敲しながら迷いが生まれる。

「もちろん、成長しているからね」

広沢さんは言った。
この言葉を聞いて、はじめて僕はここ一ヵ月間、鬱蒼としていた心が解放されたような気がした。詳しい話を語らずとも広沢さんは僕が言いたいことが分かったし、僕は広沢さんの言葉の意味を理解できた。
時間をかけて、膨大な力を注いで物語を書く。それはきっと音楽のアルバムをつくることと似ている。
詞を書いて、曲をつくり、レコーディングして、アレンジを施す。たった一曲だけでも、その曲と徹底的に向き合うことになる。それを数曲、場合によっては数十曲を決められた期間の中で制作していく。それらを編み、アルバムにする時には既につくりはじめた頃の自分ではなくなっている。つまり、レベルが上がっているということ。

「もう一度はじめからやり直したい」

アルバムが完成する頃になってそう思うことは自分にもあると言った。そこで大切なのは背中を押す勇気。完成させて、次へと歩みはじめなければいけない。

時間やエネルギーを作品に圧縮させる。経験、哲学、感性、知識、五感の全てを集約させる。このトリコチーズのように。
何よりも早い成長は、その体験の中にあるのかもしれない。


狂気

僕は『ラ・マンチャの男』が好きだ。
セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』のミュージカル。歌舞伎役者の松本白鸚さんによる舞台は誰もが人生で一度は見ておいた方がいいだろう。あらゆるエンターテインメントの価値基準になる。

主人公のアロンソ・キハーノは騎士道物語を読み過ぎて現実と物語の区別がつかなくなり、自らを遍歴の騎士〝ドン・キホーテ〟と呼び、世の中の不正を正すために冒険に出る。痩せ馬のロシナンテに乗り、風車を巨人だと信じ込み、一人立ち向かう。周りの者は「彼は狂っている」と笑い者にする。

この物語のすごいところは、物語が中盤に差し掛かった頃、読み手(観衆)は「頭がおかしいのはドン・キホーテではなく、周りの者なのではないか?」という錯覚に陥る。果たして、最終的には誰の心にもある〝弱い心〟をドン・キホーテの姿に重ね合わせ、彼に託すことになるのだ。

劇中にこのようなセリフがある。

「人生自体が気狂いじみているとしたら、では一体本当の狂気とは何だ?
本当の狂気とは、夢に溺れて現実を見ないのも狂気かも知れぬ。現実のみを追って夢を持たぬものも狂気かも知れぬ。だが、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ」

人から馬鹿にされようが、自分が信じた〝あるべき姿〟のために戦うドン・キホーテこそ人間の真実の姿ではないか。「何をしているか」が問題ではなく、本質は「自分の意思に正直に生きているか」ということ。
この物語を見ながら、僕たちのほとんどは「自分の意思に嘘をつき(あるいは無視をして)生きている」ということに気付く。

古くからの友人が、僕の勧めで『ラ・マンチャの男』を観に行った。彼の夢はブロードウェイの舞台に立つことだと言う。しかし、ミュージカル俳優のための訓練をしている様子を見たことがない。僕は「やりたいのならどうしてやらないたの?」と尋ねた。彼は答えた。

「面倒くさい」

舞台を見終えた彼は「涙が止まらなかった。感動した」と言った。そして「自分がドン・キホーテと重なって見えた」と滔々と話した。
僕は彼がその日からミュージカル俳優になるため何かをはじめるだろうと思った。しかし、彼はそのためのことを何もしていなかった。
お節介かもしれないが、僕は彼に「どうしてミュージカルの練習をしないの?」と尋ねた。彼は言った。

「来週からやる」

ドン・キホーテは言った。
夢に溺れている者よりも、現実しか見ていない者よりも、一番の狂気は「あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わない」者。
しかし、その上がいた。
夢に溺れながらも、折り合いをつけることもなく、あるべき姿のために戦わない者。
そう、彼だ。


この小噺をすると広沢さんはその日一番の笑顔を見せた。
おそらく彼は週が明けても何もしない。言い訳を探して、自分を納得させながらゆっくりと生きていく。小噺という様式でなければ、この具体的な事実を誰も笑うに笑えない。
世の中には僕の友人と同じ人間がたくさんいる。「大きな夢はあるが、そこへ向かうことをしない人間」。当然のことながら、僕は彼の人生を変えることはできない。人生を変えるのは常に〝自分〟だけである。
大きく心が動いたとしても、それを行動に移すことはそれほど難しいのだ。
彼が夢を語ろうが、彼が何もしなくても、友人に変わりはない。
このエピソードは自分への戒めでもある。

いつか、彼がブロードウェイの舞台に立つ日を楽しみにしている。



揺らぎの中に

70%のクオリティを常に出し続ける人と、時に120%の力を発揮する人がいる。それはプロフェッショナルの領域においても。
前者の方が仕事は確かかもしれない。でも───聴いていて(見ていて)おもしろくない。
後者は全然ダメな時もある。でも、いろいろな条件が整った瞬間に爆発的な力を発揮する。

「バットを長く持て」ということですね。僕は言った。
広沢さんは答える。「そう。いろんな人がいるし、いろんなスタイルがあって良いと思うけれど、僕はどちらかというと後者に惹かれる。そして自分もそちら側でいたい───」

本当にすばらしいものはイメージの外にある。
〝イメージ〟の枠の外へ抜け出した時、それが理屈以上の輝きを放つ。

広沢さんの話は楽しい。


一年で最も、月が美しい夜に

僕はクリムトの画集をプレゼントした。
広沢さんはとても喜んでくれた。
グスタフ・クリムトは僕の好きな画家の一人だ。アカデミックな素養がありながら、その枠から抜け出し、奔放な表現を見せるその絵が好きだった。
僕の中で勝手に広沢さんの音楽性と重なる部分を見ていた。

クリムトの描く女性は美しく、それも独特の美意識によって描かれる。万人が愛する女性像というよりも、その美しさには〝個性的な強さ〟という求心力を感じる。僕もクリムトが描く女性のような世界を文章で表現してみたい。

整然とされながらも偶然的な散乱があり、官能的でありながら死生観が同居し、アカデミックでありながらポップさを感じる。
矛盾を孕んだ芸術は普遍性を獲得していく。

「偶然にも、最近絵を描いていてね」

そう言って広沢さんはスマホに収められた自身で描いた油絵を見せてくれた。絵を描きはじめて間もないというのに、驚くほど巧かった。とある画家の映像を見て、そのエッセンスを取り入れていったらみるみるうちに上達したのだという。あらゆる能力には汎化作用があるのだ。
何らかのインスピレーションに繋がれば本望だ。


これからの広沢さんのクリエイティブに関するその全てが楽しみだ。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。