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覚悟は、人生の編集「点」

「あの人はワープして、あの場所に行ったんだ」

人はそう言うけれど、決してそんなことはないんだよね。
みんな、一からはじめて、
いかなる工程を省くことなく、
すべてやり通してその場所に立っているんだよ。

アートディレクターの千原徹也さんと仕事をさせてもらう中で、ふとした時間にインタビューがはじまる。この人は、本当におもしろい人で、光を蓄えた鉱物のようなことばが次々とあふれてくる。ぼくはそれを、紙に書き留めていく。上のことばを言った時、千原さんは「だからね、覚悟が必要なんだよ」と言った。

「ぜんぶやる、という覚悟」

だけれど、千原さんは「ぜんぶやる、をしない人」のことを決して否定しない。「そうだよね、しんどいもんね」と言って穏やかに眺めている。「ぜんぶやること」が正しいとは限らない。むしろ、生き方に正解なんてない、というやさしさと客観性で世界を肯定する。「ぜんぶはやらない」ということも、その人のれっきとした人生であり、その人の歩む速度であり、その人が育む実りなのだ。

あきらめることは悪いことじゃない。夢を叶え続けているように見える千原さんもまた「あきらめること」の連続だった。あきらめたから、自分の進むべき道がはっきりと見えたし、あきらめたから、そこに限定して力を注ぐことができた。あきらめたから、みんなが登る山ではなく、自分の山を築くことができた。振り返ってみると、「あきらめること」が夢への近道だった。

人はそれを「ワープした」と見てしまう。いとも簡単にやってのけた、と。でも、そんなことはなく。誰も自分では言わないけれど、みんな一からはじめてぜんぶやることはしている。「その上で」ということ。

昔、阪神タイガースの掛布さん(だったかなぁ)が言ってた。「とあるスター選手が毎日試合後に陰で何千回と素振りをしているという話がありますよね。あんなのね、プロだったらみんなやってるんですよ。それをやっても試合で活躍できるとは限らない。そういう世界なんです」。つまり、光の当たる場所というのは、そういう熾烈な日常の上に成り立っているということで。もともと持っている才能だけでは、どうにもならない世界なのだ、と。

その世界で生きることが、果たして幸せなのか。自分の歩幅に合わせて、進むこと。穏やかに過ごせる暮らし。夢が現実になる人生も素敵だけれど、夢が夢のままで距離を置きながら生きることもまた素敵な人生で。そういう生き方も肯定する。でも、夢は甘く、きらきらとしていて、人生に瑞々しさを与えることも事実。

努力したことが実にならないこともある。でも、「あの場所」にいる人は、例外なく「ぜんぶやる」をやり通した人なんだ。人生というひらひらとした線にドットを打つのは「覚悟」だと思う。それがターニング「ポイント」であり、分岐「点」であり、人生の編集「点」となる。目の前にチャンスが訪れた時、自分に問うてほしい。その答えが、次のチャンスを引き寄せる。物語のプロローグをつくるのは、自分。

「覚悟はあるのかね?」



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。