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文章の磨き方 vol.3

例えば、「おいしいボンゴレ・ビアンコを食べに行きませんか?」と誘われたとします。その時、あなたはどう思いますか?

急に変な例え話でごめんなさい。ボンゴレ・ビアンコである必然性はありません。でも、それが高級フレンチや割烹料理などであればまた響き方が変わってきます。ボンゴレ・ビアンコを誘えるぐらいの距離感というものは、関係性の輪郭が曖昧だからです。

それが異性であれば「この人は〝わたし〟と一緒に時間を過ごしたいのかもしれない」と思ったり、あるいは、「単純に貝類を白ワインで蒸したパスタが食べたいのかもしれない」と思ったりします。上司に誘われたら「普段の仕事ぶりを労ってくれるのかもしれない」とか、「ランチを食べながら仕事の重要な打ち合わせをするのかもしれない」など考えます。父親であれば「ボンゴレ・ビアンコを食べたことがないから、食べてみたいのかもしれない」と思ったり。とにかくいろいろ想像しますよね。

何が言いたいのかというと、「ボンゴレ・ビアンコ」に本質的な意味はなく、「わたし」と相手との関係性によって「おいしいボンゴレ・ビアンコを食べに行きませんか?」の意味が変わるということです。つまり、「ボンゴレ・ビアンコ」は何らかの目的を果たすための手段なのです。

普段、何気なく生活を送っていて、口に出す出さないはともかくとして、ぼくたちは当たり前のようにそうのような想像をしています。コミュニケーションは表層的な言葉の意味とは別のところに本質的な思惑が隠れていたりします。そして、それは文章表現にも言い得ることができます。

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「繭が風を手に入れ、シルクとなった」 文章のこと、仕事のこと、考えるということ。

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