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「ありたい自分」で生きること。

たび重なるピースオブケイク社の炎上で、cakesやnoteを離れていく人が増えています。好きなクリエイターがこの場所からいなくなってしまうことを「淋しいなぁ」と思うと同時に「仕方がないね」と思ったりもします。

そこには無数の部屋があって、たまたま扉を開いたその部屋が心地良かったから少し長い時間そこに留まっていただけで。その部屋に入ってくることはもちろん、出て行くことは自由だし、しばらくしたら戻ってくることもできます。誰もが自分の意志で決めることができる。オンライン上のコミュニティとはそういうものだと思っています。

「良い意味」か「悪い意味」なのかわかりませんが、ぼくはプラットフォームに過度の期待を寄せてはいません。数年前までなかったものが永遠に続くとは思っていない。気分の移ろいもあれば、時代の移ろいもある。一年後の世の中なんて、誰にも予想できません。

でもね、この場所で生まれたコミュニケーションはそれぞれの人の中に残り続けると思うんです。何かをつくったり、発表したり、感想を伝えたり、伝えてもらったり。何十万字と書いてきたことばはその人の中に蓄積され、何百万字と読んできたことばの中にこころを動かされた体験は変わらずにそこにある。それこそが本質的な価値なのではないかと思うわけです。

それは時代が変わっても、プラットフォームが変わっても、コミュニティが変わっても、そこで培った力は必ず生きる。誰かのクリエーションに素直に喜んだり、深く共感したり、想いを伝えたり、分かち合ったり。書く歓びやつくる歓び、成長する楽しさ。関わり合うことで生まれたそれぞれの物語は、きっと次の時代、次の場所でも役立つと思うから。

だから、あまり悲観せずにいたいなって。ここで会えなくなった人でも、別の場所で会えるから。

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noteは好きです。cakesのことはよくわからないけれど。とても楽しい体験をさせてもらったし、ここでたくさんの出会いをいただいたから。

最後に一つだけ書いておきます。これは自戒のことばでもあります。

いい格好をしようとして、誰かに責任をとらせようとするのは、とても格好の悪いこと。「うまくやれる」と思った分だけ、ダサい。そうじゃなくて、その場ではっきりと「ごめんなさい、今言ったことナシにしてください」と言える人の方が格好いい。「どうしたらいいのかわからないから、一緒に考えてください」って頭を下げれる方が格好いい。「今、うまくやろうとしちゃってあなたを深く傷つけるところでした」って正直に言える方がキュート。

失敗は誰にでもある。失敗を非難はしない。チャレンジにはリスクはつきものだから。でも、ごまかしたり、人のせいにしようとしたり、知らなかったふりをするのは、とても格好が悪い。

格好よく生きたいね。「ありたい自分」のために、選択して、行動できる人。そういう人に、ぼくはなりたい。

「対話」を意識したコミュニケーションを心掛ければ、そこまで大変なことにならないと思うのです。炎上の理由は「相手を尊重していないこと」がほとんどです。「対話」について深く考えて、一つずつ試すことは、とても難しい。でも、やりがいがあると思っています。




「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。