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「はじめまして」じゃないけれど、笑顔で言うよ、「はじめまして」。

お店に会いに来てくれた人がいました。

「作品ができたので、届けに行っていいですか?」

写真家の斉藤千陽さん。そう、Muse杯でも一緒に運営スタッフとして活躍してくれた、あの千ちゃんです。千陽さんは、写真家として生きるために一度noteから離れることを決断しました。彼女の中にいろいろな想いがあったのだと思います。本当はここで会えなくなることは淋しかったけれど、千陽さんのことばに醸された凛とした美しさに、ぼくは何も言わず笑顔で見送ることに決めました。

ここでは会えないけれど、いなくなるわけじゃない。

何より「写真家として生きる」ということばがぼくはうれしくて。その門出をめいっぱい明るく祝したい。両手からこぼれ落ちるほどの希望の光は、太陽の下のしゃぼん玉のように螺鈿色の色彩を帯びながら流れていきました。

見慣れたカウンター席、そこには確かに千陽さんがいました。思わず互いの頬がゆるむ。

「はじめまして」ではない、「はじめまして」ということば。文章の中で、あるいはPCの画面の中で、ぼくたちは何度も会ってきたから。それから、握手。ああ、確かにここにいる。

空気を揺らすことばのやりとり。目が合うだけで、笑い合える。沈黙さえも愛おしい。不思議な感覚。「そこにいる」という尊さを味わう。

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「作品ができたので」

それを渡すためだけに、神奈川からははるばる大阪の店まで来てくれた。嘘みたいな本当の話。他の席に座るお客さんが言った。「郵送でもいいんじゃない?」。そう、でも、違うんだ。直接渡すことに意味がある。

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この日のことは一生忘れない。

千陽さんが想いを込めて形にした作品。遠いところから会いに来てくれて、手渡ししてくれたギフト。「買わせてください」と言ったら、力強い瞳で「贈らせてください」と言われた。ぼくは千陽さんの想いを尊重した。訊くと「大阪ははじめて」だそうだ。この瞬間のために、そう、この瞬間のために。

費やした時間を想像する。ここまで来てくれた道のりを想う。作品に触れたときめき。あたたかいものがこころを満たしていく。届けた千陽さんのこころもあたたかいもので満たされていったと言う。ギフトにはそんな力がある。

それから、オンラインでは交わせなかったことばたちを互いに交換した。空白を埋めるように、ぼくと千陽さんの過去と現在と未来に染まっていく。

たくさん話した。そして、たくさん笑った。ぼくたちは「はじめまして」でも何でもなかった。これからはきっと作品で語り合うこともできるはずだ。

千陽さん、どうもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。もう本当の意味で「はじめまして」はこれでおしまいですね。そして、本当の意味で、物語がはじまった気がします。作品、大切にします。

noteをやっていてよかった。人生でこのような瞬間をたくさん集めていきたい。

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