なぜスライドを用意していないか
SkywardLearning代表の中島です。
弊社の提供する授業はいずれもホワイトボードの前に私が立ち、必要に応じて板書をしながら進めていくという古典的な方法をとっています。
ややもすれば、キレイなパワポのスライドが具備されている方がクオリティが高く、生徒ウケもいいのでは?という気もしますが、実はそうではないことが研究によってわかっています。
この研究では、900名の生徒に対して内容の同じ授業をスライド(パワポ)と板書、それぞれの方法で行ったところ、なんと85%(765名)の生徒が板書を好んだことを明らかにしています。
理由として考えられているのは、
①アクティブに参加しやすい
②進行するペースが適切であると感じやすい
③余分な情報が少なく提示され、集中しやすい
とあります。
また、近いところで言えば認知心理学における「認知負荷」理論の中で、例えば本を読むとき、読みやすいフォントと読みにくいフォントで読んだ場合、後者の方がクリティカル・シンキングに繋がりやすく記憶に残りやすい、という報告もあります。
これはRobert Bjorkらによる"Desired Difficulty" の概念と関連しており、
つまりあまりにもスラスラと読んでしまって終わると、深く考える回路が起動しないで終わってしまうということです。
私個人の主観を付け加えてみると、例えば喫茶店で隣の席に座る他人同士の会話は気にならなくても、他人が通話をしているとやたら注意を奪われる、というのに近い気がします。
会話であれば完全な形で受け取ることができるのですが、通話は常に一方の発言が欠けている状態で耳に入るため、しなくてもいいのにその穴埋めを本能的にしたくなる気持ち悪さがあります。
パワポでキレイなスライドは他人同士の会話のようなもの、次の瞬間に何が書かれるか分からない、常に欠けた状態で進行する板書による授業は、他人の通話のように注意せざるを得ないのかもしれません。
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