見出し画像

【本の感想】働き方全史 

なぜ、人は働かなくてはならいのか。

生きていれば何度となくこの問いが頭をよぎるほど、私たちの生活は仕事と不可分の関係にある。問うときはたいてい、あまりいい状態ではないが。
すぐに思いつく「働かないと食っていけないから」というお誂え向きな回答は、一部の大金持ちのご子息には該当しないであろう。
しかも、彼らだって働く。
したがって不十分だ。

さらには、「AIが発展することで私たちは労働から解放されるらしい」というユートピアめいた発想よりも、「私たちの仕事をAIが奪う」ことに恐れ慄く声の方が大きい。

仮に、代わりに稼ぎ出してくれるAIの所有権を持つことで、生活を保障するほどの不労収入を得たとしたら、仕事は奪われてもへっちゃらか?と考えてみると、案外そうでもなさそうな気がする。

いくら仕事ギライの人であっても、24時間365日を消費者側として生活することは難しそうだ。

自分の持ち味が生きる分野で、努力によって質を高めて他者へ貢献することは、やはりかけがえのない味がする。「仕事」の替えは簡単に効かない。

ということは、働くことは思っているよりも数段、大きな割合でアイデンティティを担っているということだろうか。

と、まあこう書いている間もこんな原初的な問いを立てて頭を捻る暇があるなら仕事しないと、と思ってしまうわけである。働かなくては。。

ちなみに、アフリカ南部に生息するメンガタハタオリは自分の作品に厳しく向かう陶芸家の如く、巣を作っては壊し、作っては壊すことを繰り返すらしい。
そこに合理的な生存戦略など無く、仕事といっても単なるエゴのように映る。
そこには、自分の生涯をかけて作品作りに没頭する、真剣なメンガタハタオリの姿があるだけである。

仕事と遊びの境目はいつだって曖昧で、融合しているのが普通だ。

人間社会で見れば、カネを受け取るか否かが仕事の分かれ目であると早合点しそうにもなるが、遊んでいるうちに仕事になることもあれば、仕事の中である種のゲーム性を持たせ、遊ぶように没頭することだってある。 


なぜ、人は働かなくてはならないのか。

「人は仕事によってのみ定義できる自己が存外多いため」と取り急ぎ、しばらくはこの答えで凌ぐことができそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?