福岡を出るので少し語りたい。
6/9に福岡を出ます。
大学を卒業してからフリーランス2年間を福岡で過ごしました。
WPP福岡代表
実業団トレーナー
スポーツ施設トレーナー
クリニック鍼灸師
企業向け組織コンサル
etc...
もがきながらも挑戦し続けれた2年間だと自負しています。
その中で失敗は9999個ぐらいで胸はって成功と言えるのは1つもありません。
そんな福岡生活でしたが、今回拠点を変えるということで少し思い出を綴ってみます。
1.福岡行きが決まった経緯
福岡行きが決まったのは2018年の8月。
当時大学4年生だった僕は卒業後どうするか悩んでいました。
①トレーナーとしてフリーランス
②オファーもらっていた会社に就職
③森ノ宮医療大学大学院生&助教
大きく分けてこの3つ。
どれも良い進路だと思いますが、1つ悩みの原因があります。
それは全て関西圏での活動ということ。
なぜそれが悩みの原因となっていたかというと、過去の繋がりできるだけ使わずビジネスをしたかったから。
当時22年間生きて、ありがたいことに沢山の方と関わりを持たせていいただきました。
小学校からの友達もいれば、陸上競技関係者、同じ職業の鍼灸師/トレーナー、ご指導いただいた方々などとても恵まれた繋がりを持っていました。
この繋がりを使っていけば「フリーランスだろうが、就職だろうが、そこまで難しくないのでは」と思っていました。
でもそれでうまくいっても再現度が非常に低い。
過去の繋がりは意図的に作り出したものではありません。
たまたま大阪で生まれて、たまたま強豪校に進み、たまたま医療大学に入った。
「将来独立して活動するためにこの学校に入るんだ!!」みたいな考えなんて微塵もなかったし、目の前の目標を達成するために各選択をしてきました。
もちろんそれを使ってビジネスをすることが賢いやり方だと思いますし、結果を出す近道だと思います。
逆に繋がりを使わずにビジネスをできる人ってこの世にいないと思っています。
(※いたら紹介してください)
ただどうしても「再現度が低い」ことに引っ掛かっていました。
「たまたま軌道に乗った」は偶然の事象にしか過ぎず、それで調子に乗ってしまうと一発屋ビジネスマンになりかねません。
僕は大学2年生の冬からトレーナーとして独立するために本格的に動き始めました。
トレーナーとしてはもちろん、1人のビジネスマンとして、商品を売っていくものとしての知識も身につけていった。
当初は
「マーケティング?」
「キャッシュフロー?」
「損益分岐点?」
「KPI?」
となっていました。
その辺の経営学部大学生誰もが知っている用語を全く知らない状態。
そこから学び続けましたが、本当に定着しているのか、学生時代に積んできた経験値は本当に使えるのか、ここは不透明な部分でした。
国語や数学と違ってビジネスに筆記試験なんてないし、現実で結果を出したかそうでないかぐらいしか評価指標しかありません。
また純粋に評価するためにはバイアスがかからない環境下が必要でした。
その結果、過去の繋がりをできるだけ使えない状態を作り出す必要があると考え、辿り着いたのが「生まれ育った関西と物理的な距離をとる」でした。
となれば第一に考えられるのは東京。
しかし1つ懸念点があり、「知り合いが多すぎる」こと。
大阪の次は東京みたいな思想はごく一般的で就職と同時に上京する方は少なくない。
大阪から離れたものの知り合いの多い東京に行ってしまっては学び、経験値の評価にバイアスがかかってしまう。
なので東京行きは保留。
次に候補として名古屋、福岡あたりかなと考えていた。
そんな時にAscenders株式会社の代表取締役の橋本さんに進路について相談しにいきました。
今思っていることをダーっと話した結果言われたことは
「福岡行く?」
でした。
余り深く考えず「はい」と答え、福岡行きとWPP福岡立ち上げが決まりました。
今思えば「もう少し考えてもよかったのに」と思っています笑
(重要な決断は少し考えたほうが良い、絶対)
こんな感じで福岡行きはあっさり決まり、少しずつ準備をしていきます。
2.仕事なし、繋がりなし
そこから月日が流れ年明けの2019年1月。
WPP福岡開始のプレゼンをする機会を得た。
当時、福岡にいたのは2018年12月に出会った堂面さんだけ。
プレゼン後の夜は堂面さんと2人で話していた
「どうしましょうか」と。
この時、僕は鍼灸国家試験を控えている大学4年の石田、堂面さんは社会人1年目の理学療法士。
この時の心情は不安×1000000。
↑(奥の2人)
WPP福岡を立ち上げることは決まっているものの、他に仕事もなければ、繋がりもない、先が見えない状態でした。
でもやるしかないのでとりあえず2019年1月に福岡へ2回足を運びました。
学生で少ない資金の中、夜行バスに乗って、安いカプセルホテルに泊まったり、ネットカフェに泊まったり…。
目的は
①WPP福岡のメンバーを集めること
②スポーツトレーナーとしての仕事を掴むこと
でした
まずWPP福岡について。
「福岡でこういうのを立ち上げるんです」と会う人、会う人にクソみたいにわかりにくい資料で話していました。
当時学生ということもあり社会人の方からは「学生が何を言ってんの」と言われることも少なからずありましたし、「営業は結構です」と断られることばかり。
正直腹立つことや、悔しい思いをすることが多かったです。
ビジネスをすることの厳しさを痛感していました。
プレゼンには少し自信があったので、話さえすれば必ず共感してくれるのもだと思っていた。
しかし、全然うまくいかない。
断られ続け、怪しい人と認定されることもありました。
学生だし、鍼灸師の資格もまだない、トレーナーとして大成功しているわけでもない、ビジネスの基本も知らない人間の言うことなんて普通は信じてもらえない。
僕が逆の立場なら門前払い。
『自分自身が良いサービスだと思っているものだから売れる』
これは大きな間違いだったと早い段階で気づけてよかったと思います。
そしてスポーツトレーナーとしての仕事については、全滅。
ここまでかというぐらい全滅しました。
10チームぐらいあたりましたが、話を聞いて下さったのは1チーム。
そのチームとも契約には至りませんでした。
ビジネスをするって本当に難しいんだなと感じました。
そんな中、数名のWPPメンバーが集まった。
2019年1-3月は国試の勉強をポツポツやりながら福岡に足を運んでメンバーと話して、
みたいな生活を繰り返してました。
その後4月に完全移住をし、本格的な福岡生活がスタート。
フリーランス1ヶ月目の売り上げは53000円だったかな?
当時貯金が20万。
その中で生活費が10-15万ぐらいかかってたのでもちろん赤字。
ベローチェで210円のコーヒーを買って、閉店まで居座り続けました。
たまに追い出されることも…。
食事は夜遅くにイオンへ行って安くなったお弁当。
今思えばよくあんな生活をしてたなと過去の自分を褒めてあげたいぐらいです。
バイトを検討してタウンワークを手にしたこともありました。
そんな状況下でランニングチームに所属したり、スポーツトレーナーさんを紹介してもらったりとりあえずできることは手当たり次第全てやりました。
6月頃からは少しずつトレーナーとしての仕事も増え売上も上がっていきました。
10月頃にやっと30万/月を超えた。
熊本に行ったり実業団の帯同が始まったのもこの辺りからでフリーランス1年目が終わるタイミングで売上50万/月を越えた。
この数字が凄いか、凄くないかだったら全くすごくないし、そもそも遅すぎる。
ただ本当に沢山の方に支えていただき生き延びることができ、叙々苑ランチ行けるぐらになりました。
もちろん満足はしていませんし、成し遂げたいことはできていないのでまだまだ挑戦を続けます。
3.得たもの
仲間
一択です。
WPPに所属していたメンバー、仕事仲間、選手、患者さん、チャンスを与えてくださった方など本当に大切な繋がりを得ることができました。
もちろん様々な事業に関わらせていただき、少なからずビジネスマンとしてのスキルは得たと思いますが、胸を張って言えるレベルではありません。
所詮フリーランスで自分1人を守ってきただけです。
自分が目指しているのはヘルスケア市場のアップデート。
誰しもが健康的な体を手に入れれる時代にしたい。
楽を価値とする商品が出れば人の体は悪くなるリスクは高まる。
リモートワークも楽。
出社しなくていいから満員電車に乗る必要もない。
外に出る必要もない。
必然的に運動量は低下し、身体にエラーが生じる
こういった時代だからこそヘルスケアの常識、知識のアップデートが必要だと考えています。
自分1人の力では辿り着けない場所だと考えています。
より多くの仲間と遠くを目指していく。
そのためには「フリーランスの石田」では限界があります。
福岡を出るタイミングで新しい挑戦へと踏み出します。
社会人、フリーランス2年間を過ごした福岡を出るのは少し寂しい。
なりよりも福岡という街が好きです。
コンパクトシティーでアクセスが非常に良い
ご飯も美味しい、
駅近でも家賃が安い、
そして仲間がいる。
ただ「寂しい」「出たくない」という気持ちが芽生えているということは、逆に出たほうが良いというサインだと捉えています。
心地よい空間から出たくなく、安全圏に守られているほうがストレスはありません。
しかしストレスがなくなった時、人の成長は止まります。
自分は24歳であと50.60年ぐらいは生きると思います。
まだまだやりたいことなんてたくさんあります。
そのためには成長できる環境が必要です。
1つ1つ達成して行くべく、成長できる環境、すなわちストレスがかかる環境に身を置きます。
果たして当初の目的であった学びや経験値の評価はできたのか。
答えはYESです。
しっかり評価することができ、まだまだ未熟者だったということを認識ました。
ビジネスをする上ではあまりにも知識と行動量が少なかったです。
2年間かけてしまったし、大きなことを成し遂げてたわけではありませんが、「評価する」という目的が達成できてよかったと思います。
拠点は東京に移しますが、大阪、名古屋、福岡あたりを転々とすると思います。
新しい地で、新しい挑戦をしていきます。
福岡でお世話になった方々ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします!
Athletics Innovator's Community代表 |アスリートが競技に集中できる環境を作ります。