怪至考①語るほどでもない怪談

<怪談そのものではなく、怪談にふれる中でとりとめなく考えたことの備忘録。>

大学時代に福岡に一人で旅行に行ったことがある。
普段一人で飲むことなどないのに、気持ちが大きくなった僕は飲み屋に入り、そこで知り合った青年と話をした。

僕がホラー映画や怪談の類が好きだと話をして、自分の見聞きした怪談を1,2つほど語ると、彼も自分が聞いた話を教えてくれた。

彼の大学の先輩が、心霊スポットだという海岸に肝試しに行った。
先輩の車に4,5人で同乗し、しばらく海岸付近をはしゃぎながら歩き回った。
真っ暗で波の音だけが聞こえる海岸はそれなりに不気味ではあったけれど、特に何事もなく駐めてあった車に戻ると、大量の手形が車の窓についている。
よくよく見てみると、その手形は車体の外面についているわけではなく、窓の内側、つまり車中からついていた。

というような話だった。

そこまで怪談が好きなわけでもない人から、この手の怪談を聞いてみると、ものすごく独特な話を聞けるか、もしくは、ものすごくありきたりな話を聞くことになるか、どちらかになる。

今回の場合は完全に後者だった。
どれ、と言われるとすぐには思い出せないけれど、「あるある」に近い感覚。
わざわざ話してもらって悪いが、この話を聞いた後に、僕が誰かに「持ちネタ」として語るようなことはもちろんなかった。

・・・

僕の大学は北海道の函館市にあった。

僕の大学とは別の大学に通っている友人のK君と僕の部屋で飲んでいたときのことだった。
K君はその当時、僕にとって比較的新しい友人だった。僕の部屋にあるホラー映画のDVDを見ながら、「俺の友達が体験した話」として、怖い話を始めた。

函館は港町だが、山に囲まれてもいる。港付近は観光地になっていて賑やかで明るい場所が多いが、山側は大学があったり、ラブホテルがあったり、とりあえずひとけはなく、どこも暗くて、必然的に心霊スポットと呼ばれる場所が多い

そのうちの一つ、『隠れキリシタンの墓』と呼ばれる場所を訪れた、K君の友人が、心霊スポットからの帰り道、気がつくと車のフロントガラスに手形がついているのが見えた。
それも、指先が地面側に向かってついている。
誰かが車に寄りかかったか何かでついたのだとしても、横向きになるか、指先は上を向くんじゃないだろうか?
そう考えて恐ろしくなり、ワイパーでいくらかき消そうとしても消えなかった。
朝方改めて確認すると手形は既に消えていたという。

そんな話を聞いた。

このときも、まぁ結構ありがちな話だな、と思って聞いていた。
怪談を蒐集する趣味のある人ならわかってもらえると思うけれど、聞かせてもらえる大半の話はこんな感じ話である。

・・・

2つの話は同じく大学時代に聴いた話ではあるけれど、時期が少し離れていること、他にもたくさんの話を色々な人や媒体から聴いていたことから、ほとんど思い出すことはなかった。

2022年現在、小野不由美『残穢』を読んでいる最中に、ふと、10年以上前に聴いたこの怪談を思い出した。
『残穢』は、単体では不気味だけどそこまで強くない怪異に関連性が見え始め、徐々に因果を掘り下げていく物語である。

主人公である著者が、作中で「まぁ怖いっちゃ怖いけどわざわざ本に書くほどでもないな」と怪談を聴いて思うシーンがある。

わざわざ怪談を集めたり発表しようとしない人にとっては、それなりに怖い話だとしても、蒐集するような人にとっては、「弱いネタ」で終わる話は山ほどある。

しかし、函館の大学生が体験した話は、ワイパーでいくら擦っても消えない、というところが怪異のピークだけど、考えてみれば内側についていただけなんじゃないか。
福岡の大学生が体験した話の手形は、指の向きについての言及はなかったけど、指の向きは地面側じゃなかったのだろうか。

みたいなことを、急に考えてしまった。

今は実話怪談ブームで、書店に行けば山程優れた実話怪談本が並んでいる。
5ページや10ページ持つくらいの流れのある、「本に収録する価値のある怪談」はそこに残る。

1ページにも満たない、語ってしまえば「まぁありきたりだよね」で済む怪異には居場所はほとんどないはずである。

となると、この世には「間違いなく体験者のいる、しかし、ありきたりだからと語られない怪異」は、大量にあるんじゃないだろうか。

そういえば、僕の地元・札幌で夜中に公園付近を歩いていた時、滑り台を子供が走って駆け下りるような音が聞こえたことがあった。気のせいだった気もするしそれ単体じゃ怪談にならないから話したことはほとんどない。

青森の八甲田山に、肝試しでドライブに行った時、帰り道寄ったお店で尽く特定のメンバーだけ自販機が正常に動かなかったことがあった。バカバカしいし、怪異と呼ぶのも微妙なので思い出すこともなかったけれど、偶然というにはなんだか妙じゃなかったか。

思い返してみると函館に住んでいる4年ほどの期間だけ、ずば抜けてそんな体験が多いのは偶然なんだろうか。単に大学生で暇だっただけなのだろうか。

こういう話を聞いて、思い当たる節はないだろうか。

人感センサーが妙な点き方をした瞬間は?

撮った覚えのない写真がスマートフォンのフォルダにあったことは?

夜道で見かけた妙な人影が気になった瞬間はないだろうか?

・・・

僕は中学生の時の塾帰り、だいたい22時ぐらいに、ほとんど街灯のない夜道で、白いTシャツと短パンの小学校低学年くらいの兄弟が二人で佇んでいるのを見かけたことがある。

まぁそういう子供がいないとも限らないし、「見た」というだけで、それ以上の展開はない。だから語らない。
たぶん、おそらくそういう体験は溢れている。

「1件の重大事故の裏には29件の軽微な事故と300件の怪我に至らない事故がある」

というハインリッヒの法則に倣えば、こういうことである。

「1件の重大な怪談の裏には29件の軽微な怪談と300件の怪談に至らない怪異がある」

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