子育てと男の子らしさ、女の子らしさ

あるイベントで、プレンゼーターが、自分の息子を「男の子だから幼い」というようなことを言っていた。
そういう言葉って子どもと一緒に人と話すときに結構耳にする。

「女の子だから口が達者」「女の子だからかわいい服が好き」「女の子だからきれい好き」「女の子だから落ち着いている」

話は変わって、
パパをやっていると思うけど、子どもって本当に面白い。

予想をどんどん超えてくる。
その子個人と日々向き合っていても予想を超えてくる。

それにもかかわらず、身体の性だけで予想することになんて意味なんてないと思う。予想できるはずがないんだから。

研究しているものを見ても、やっぱり性差なんて個人差の前ではちっぽけなものなようだし。

そもそも性ってグラデーションを描いていて、二分しがたいという話もあるみたいで、それをがんばって二分してラベルをつけるってばかばかしささえあると思う。

冒頭に挙げた言葉たちは、以上のことから有意義ではないと僕は考えている。有意義ではないどころか、有害だと思う。
単に自分の心の中でつぶやく分には害がなくとも、声に発し、それが相手に届けば、そういった不適切な予想に基づく言葉は「あなたが第三者からみて、あるべき姿はどのようなものか」という意味で積み重なっていってしまうと思うので。

それは子どもの本当の能力を、可能性を上手く発揮できなくする呪いになってしまうんじゃないか、そんな気がする。

自分の子どもといえど第三者なので、理解は難しい(自分自身のことさえ理解は難しいし)。だからこそ、性差についての情報を頭に入れることは、他者理解に役立つのかもしれない。でも、個人差の前では無力な差を頭に入れることは判断を鈍らせるかもしれない。

だからこそ、僕は大人に対して「男だから」「女だから」を言わないようにするのと、同様、いやそれ以上に、子どもに対して「男の子だから」「女の子だから」と言わないようにしている。

そして、子どもからそのような発言が出てきたら(いま3歳半くらいだけど、結構子どもの口からそのような趣旨の言葉は出てくる)、ほかの人はどういうふうに思っているかは知らないけど、パパは男の子か女の子かよりも、その子がどういう子かが大事だと思っている、と伝えるようにしている。

気をつけよう。
自分自身は、やっぱり「男」「女」に囚われまくっているところがある。
でも、それは不適切だ。
子どもを完全にジェンダーの枠から自由にさせることはできないかもしれないけど、親として、大人として、かかわる子どもたちをジェンダーの狭い鋳型に閉じ込めるようにないようにしようと思う。

実は、結構イベントで結構モヤモヤしちゃって、関わらせてもらっている一般社団法人Papa to Childrenのコミュニティー内で、ありのままの自分をさらけ出させてもらいました。
そこで、本当に多くのリアクションをもらい、イベントのモヤモヤを自分のなかで前向きに消化し、モヤモヤした自分を浄化することが出来ました。

こんな研究結果も教えてもらいました。(杏林大学 大木先生)



一般社団法人Papa to Childrenとってもいい団体です。


そんないい団体が3月19日の12時から13時にオンラインランチイベント開催。
僕が参加しているときは毎回新しい人が参加してくれていて、とてもいい時間を過ごせます。
今回のテーマは「コロナ下でのリアル接点どうしてる?」
気になります。

最後に、色々偉そうに書いたけど、やっぱり僕は「男」「女」「パパ」「ママ」といった視点に囚われてしまっている。だからこそ、パパの団体であるPapa to Childrenだとその視点に苦しまなくていいので助かっている。

子育てをしていく中でジェンダーについても学びを深めていけるといいなと思う。



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