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運命の扉にはノブが付いていない

いつもありがとうございます!
山口竜太です。

薬剤師、ノンテクエヴァンジェリスト、イベンター、一児のパパなどしてます。
肩書きはメディカルアーティストです。
唯一無二の肩書きで、世界を変えたいとか言っています。

『運命の扉にはノブが付いていない』

私が人生の転機、進路の選択に悩んだときに大切にしている言葉です。

とても良い言葉なので、今回はこの言葉についてご紹介します。
ではいってみましょう!


この言葉との出会い

大学生時分、私は所謂ところの意識高い系の学生でした。
自己啓発本を読み、勉強会を開催し、起業の勉強をして、飲み会に明け暮れる。
「未来は自分のチカラで切り開く!」
そんな風に思っていました。

この言葉とは、そんな活動の1つ、勉強会を開催したことがきっかけで出会いました。

私が自身で初めて立ち上げた勉強会「MiC(Medical Intersect Cafe:ミック)」の第1回勉強会に、2人の医師を招待しました。
この勉強会は、対話ベースの勉強会で、講師は話題提供者、参加者は学習者として発言、対話を行う。最初のテーマは「死生観」。最初にしては重くない?と言われながらも、私は絶対これがいいと言って開催した。

有難いことに、会場満員の参加者に集まっていただき、大盛況。特に「死生観って物凄く重いテーマだけど、対話しながら深く深く話せたのは良かった。この形式でないと、なかなか本音は話せない。」と感想をもらったのは嬉しかった。

話題提供者として講師を務めてくれた医師は2人とも、在宅医療に従事していた。
患者さんの生活をみて、もちろんそこには家族のことも含まれていて、その方の最期を看取る。
そんな現場で戦っている方々。

勉強会後、1人の医師が私に「一度、本当の在宅現場を見においで」と声をかけてくださいました。
さっそくアポイントをとりました。
その際「まさか本当に来るとはね!(笑)大体の学生は、声をかけても来ない。本当に来る子は珍しい。」と言われました。
みんな行けばいいのに。

先生に付いての在宅現場は、とても新鮮だった。
当時私は3年生。6年制薬学部のまだ半分。実務実習も5年次で、まだ先だった。そのため、「患者さん」に会うのもほとんど初めてだった。

感じたことは数多あった。
まず、「患者さん」なんて人はいないってこと。
誰しも「◯◯さん」という名前があって、それぞれの生活があって、生きてきた歴史がある。一律な規則はそこにはなく、全ての方々が自分らしくあろうとしていた。先生が勉強会で「キューブラロスの死の受容モデルは、あくまでモデル。実際には簡単に区切れるものではない。」と言ってたのを、まさに実感した。

そして思い知ったのは「自らのチカラの無さ」でした。
ある方のお家から出て、次の方の元へ向かっているとき、「さっきの方は今週が山だろうね。来週にはもう会えないだろう」と先生が言った。私は驚愕した。
驚愕したのには2つあって、1つ目は「まだお話できていたのに?」ということ、そして2つ目は「まったくそんなのわからなかった」こと。
勉強会の最初のテーマに「死生観」を選ぶぐらいだから、私は人の最期というものに非常に興味があった。そこに対して自分の力を使いたいとも思っていた。しかし、今週が山だと、そんなことは微塵もわからなかった。
現場に立つようになって、いろんな方々の最期を見送った今でも、人の生き死には不思議だと思うぐらいだから、大学3年生の私がわかるはずもない。それでも、まっまくその方の命の音を汲み取れていなかったことが、少なからずショックだった。

そんなこんなでとても刺激的な先生との在宅現場だった。

在宅見学の後日、改めて今度は先生にインタビューすることになった。
学生作成のフリーペーパーの記事のためだ。
現役医療者から学生へのメッセージを集めた記事を集めることになり、私はまっさきに先生にお願いした。

その際に、私の人生のキーワードである本記事の言葉『運命の扉にはノブが付いていない。』という言葉をもらった。


運命の扉にはノブが付いていない

フリーペーパーの趣旨は、現役医療者に人生のキャリアプランについて聴くものだった。
まず、先生のキャリアについて話しを伺った。
(そのアグレッシブなキャリアもすごかった)
そして、学生へのキャリアプランを考えるための言葉をもらうことになった。

「山口くん、将来ってどうやって決まるんだと思う?自分で決めていくのだろうか?もちろん、その側面もある。だけど、ほとんどの場合、そうではない。キャリア、運命の扉は自分では開けられないのだよ。」

「運命の扉が目の前にあるだろう?でもね、その扉にはノブが付いていないんだ。自分ではどうしたって開けられない。扉の向こうにいる誰かが、開けてくれる。自分ができるのは、その空いた扉をくぐるかどうかを決めることだけ。」

「空いた扉の先に行くだろう?そしてどんどん進む。そしたら次の扉がある。その扉にも、ノブが付いていない。誰かが開けてくれるまで、待つしかないんだ。」

「空いた扉の先に行くこと、その先で進んでいくこと、それらは自らの努力でやるしかない。だけど、扉は、自分では開けられない。人との出会い、人との繋がりがあると、その誰かが開けてくれる。そういうものだよ。」

『運命の扉にはノブが付いていないんだ。』

今思い返しても、心が震える。
衝動というほど激しくなく、感動というほどエモーショナルでもない。
腹落ちというような論理の話でもなく、ただただ、心に心地ような、でも少し苦しいよな、そんな響きを与える言葉。

他人任せではない。
扉まで行くこと、扉をくぐるということ、これらは自分でやる。
人生の転機、進路の選択は、自分のチカラだけでは切開けない。人との繋がりが必要なのだ。


今を全力でやる

この言葉から私ができることはただ一つ「今を全力でやる」ということ。
運命の扉は、自分では開けないけど、勝手にやってきて、勝手に開くわけじゃない。
自分の努力の先にしか現れない。
そして、それがいつ現れて、誰が開けてくれるかもわからない。

だから、「今を全力でやる」ことが何より全て。


4つ目の扉

私の眼前には4つ目の運命の扉があります。
1つ目は学生活動を始めたこと。
2つ目は現職に付いたこと。
3つ目は結婚のこと。
そして今4つ目。

どれも、想定していなかった人との出会いで、想像していた道と少しずつ違う。
たしかに自分の歩んだ道の先にあり、誰かが扉を開けてくれた。

4つ目の扉の先にも進む。
そして全力でやる。
またいつか、どこかで誰かが開けてくる運命の扉を目指して。

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