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 雑草魂Part2  2度目の挫折          恩師との出会い ジュニアユース

そんなこんなで僕は中学生になり三鷹市のあるクラブチームにお世話になる。(三鷹市のクラブチームって言ったらほぼ絞られるんだけどねw)
それはさておきそこで僕は人生で二度目の挫折を経験する。
正直この挫折は今まで生きてきた中のNo.3には入ると思っているしこの時があったから今色々な事を乗り越えて来れているのだと思う。

それでは本題に入ろう。

僕はレベルの高い環境でサッカーをしたかったため中学校の部活ではなく、セレクションを行いチームを編成するクラブチームと言う道を選んだ。この選択は間違っていなかったと思う。だが苦しい時期が大半であった。
まず入団説明会でびっくりしたのはGKが四人もいた事だった。小学生の時は自分一人だけであったのでこの時は驚いた。けれど燃えていた。こいつらに絶対負けないっと。そうして中学一年生のシーズンが始まったのであった。
だか、一年生の時は公式戦に何回か出させて頂いたのだか致命的なミス、安定感のなさが出てしまい。
一二試合出てそれっきり試合に出た覚えはない。自分より上に上手い奴が二人もいた。その二人がライバル争いをしていて自分はそれにも入って行けていなかった。これが二年の時まで続き二年の時は正直公式戦に出た覚えはない。
正直悔しくて悔しくてたまらなかった。時には公式戦に帯同し試合に出ずに帰って来て家でめちゃくちゃ泣いた。けれど母ちゃんはそんな自分を慰めるのではなく強く叱って、尻を叩いてくれた。その時はなんで慰めてくれないんだよって思ったけど。今考えると叱ってくれてありがとうって思っている。母ちゃんは自分が負けず嫌いな事をよくわかっていたからた叱ったんだと思う。
(母ちゃんの話はここでは書ききれないのでまたの機会にたっぷりお話ししたいと思うwマザコンかよw)
しかしこんな状況な自分の支えになったのは母ちゃんの他にもう一人いた。

それがGKコーチだった。

自分はGKコーチのトレーニングが面白くて、楽しくて大好きで毎日真剣に取り組んだ。
それはもちろんGKコーチの指導力でもあり人間性の高さだと思います。物凄く尊敬している人です。そしてGKコーチの言葉はこの試合に出れない2年間を支えてくれた。

「俺は今試合に出れる選手を育てているわけではない高校にスカウトされる選手、高校に行ってから活躍できる選手を育てている」

この言葉は試合に出れていない僕の心の支えになっていた。
そこから僕の目標は試合に出ることではなくその先高校のサッカー部にスカウトされ、高校サッカーで活躍する選手になると言う目標に変わっていった。
つまり試合に出ることを目標ではなく通過点に過ぎないと言うこと。
この言葉は今でも自分を見失いそうな時に自分に言い聞かせています。

「ありがとうございます.....コーチ」

その結果真剣に練習に取り組むことができ三年生ではほとんどの試合を出させていただき高校にもサッカー推薦で行くことができました。この経験から僕のいたクラブチームには最高のコーチがいること。
そして

目標設定を間違えずに真剣に努力、練習を すること。

簡単そうで中学生には難しいかもしれないがこう言う事をやって生きけば必ず目標は達成できると思えた、中学生時代でした。

    ご覧いただきありがとうございました。

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