こだわりとおしうりの違い
ふとこの2語の意味の差って何だろうかと思った出来事があった。
最初に言っておくがこれはネガティブな話をしたいわけではない。
何となく経験を少し重ねて経験が浅いなりに突然降って来た話題が何とも自分の中で腑に落ちるなと思い、少しお酒が入った状態の深夜、この記事を書いてみる。
僕はコーヒーが好きだ。
好きだと言ってもいろんな種類の「好き」がある。
その中でも「度合い」は様々だ。
僕の場合は「好き」ではあるがそのレベルが他者を超越するタイプではないということをここ最近ようやく自分の中で納得しつつある。
本題に入るが、普段は家で趣味として珈琲を淹れる傍ら、縁あって時折社内でプロの方とコーヒーを一緒に隣で淹れる機会がある。
最初は1年前くらいだったがその方はこの1年の間に独立して自身の店を開き既に多くのお客さんに愛されるお店になった。
数ヶ月ぶりに一緒に淹れさせてもらう機会があり、ふと個人的にいろんな意味でその人が変わったなと思った点がある。
コーヒーのレシピを細かく伝え、リクエストの度合いが高まったという点だ。
コーヒーを淹れる人としては独自のレシピがあり、それが凝り固まるほど他者の意見を聞き入れにくくなってくる、気がしている。
1年前はあくまで個人のベストと思うレシピで一任してくれていた記憶があるが、今回は豆ごとに、炒り具合ごとにそれぞれレシピがあることを伝えてくれた。
正直な話、最初は腐っても一人のブリュワーとして「自分の好きにやらせてほしい」と思ったことは事実である。
ただ、その手法で淹れたコーヒーを飲みながら、何となく時間が経ってからその指示は単なる「おしつけ」ではなく「こだわり」だと自覚した。
気になったので広辞苑で調べたところ、「こだわり」の定義は「些細なことを必要以上に気にすること」「細かな点にまで気を使って価値を追求すること」とあった一方で、「おしうり」は「相手の気持ちを考えずに無理に押し付けること」とあった。
無論先に述べた指示が前者であることは言うまでもないが、少し第三者目線に立った時、その絶妙なラインで人に伝えられる事は自分にとってどのくらいあるのか、と思ってしまった。
意外とそのラインで伝えられる事ってふと考えてみると難しい気がしている。
経験が重なると不意に「こういうものだ」という固定概念が強まるし、アドバイスのつもりが、受け手にとっては「おしうり」に感じてしまうこともあると思う。
世の中をリードする人はある程度強い意志が必要だと思うし、現在自分の好きなコーヒー業界を先導する人はそういう一面も持ち合わせていて、自分の場合はその点がなかったのだと思う。
「人それぞれの淹れ方がある」「人それぞれの美味しいがあるから追求するだけキリがない」と感じてしまっている自分自身も今ここにいる。
それはいい言い方をすれば柔軟なのかもしれないけれど、自分の「好き」がどの位置なのかが分かっただけでも少しスッキリした気がする。
そんな自分にはコーヒー以外で自分の仕事で「おしうり」になってしまっている部分はあると思う。
この先年次を重ねていくにつれてその自覚が麻痺してしまわぬよう、記録しておく。
そしてどこかで感じていた「好き」で勝負したい分野は無理に勝負するものでもなく、「好き」でなくとも自分が力を入れることができる分野で自分の価値を発揮できることは意外と幸せだという事を忘れないようにしたいと思う。
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