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雨が降ってしまう前に

雨が嫌な出来事をすべて洗い流してくれたらいいのに。

なんてことをよく考える。もしくは雨が降ってしまう前に、嫌な出来事をすべて自分の中で解決できたらいいのに、とも考える。前者は何かに自分の感情を委ねていて、後者は自分の中で自分が問題を解決をした証拠だ。もちろん自分で問題を解決できるのが1番いい。以前よりも成長した気になるし、誰かに依存しているわけでもなく、自分の足できちんと立っている証拠でもある。

とはいえ、人はひとりでは生きられない。誰もが例外なく誰かによって支えられている。「人」という文字は支え合いを象徴したものであり、それが人間の本来あるべき姿なのかもしれない。

困っている人には気兼ねなく、手を差し伸べたほうがいい。それは自分が困ったときに手を差し伸べて守られるかもしれないという期待も込められている。たとえ手を差し伸べてくれなくたって、誰かを助けたという事実は生きる糧へと変換されるかもしれない。

雨なんて必要ない。問題はすべて自分で解決する。そう言えていたらならば、どれだけ人生が生きやすくなるのだろうか。立派な大人ってのはこういう人のことを指すのかな。もしそうだったら僕は全然立派な大人になれていない。ひとりで問題を解決できる場合もあれば、できない場合もある。強くなりたいとは思いはするものの、誰かに助けて欲しいという気持ちは捨てきれない。

そもそもかっこいい大人って、なんだろう。僕はかっこいい大人の階段を、ちゃんと登れているのだろうか。それすらもわからない。もしも大人の階段を登れていなかったらと考えると、答えを知ることに足がすくむ。前に進んだり、後ろに進んだり、ときに立ち止まってみたりしているこの人生。でもまあ、ひとりで生きられないと知っていることは救いだ。ときに雨に嫌な出来事をすべて洗い流してもらって、ときに自分の中で問題を解決できる人間になれたらもうそれで御の字なのかもしれないね。

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