2019年8月3日、海辺の《ボヘミアン・ラプソディ》

 戸崎、という尾道の飛び地で、写真家のTさんをはじめとする地元の人たちや、全国から集まったその友人たちが、基本的にはボランティアで作っているイベントの、お手伝いをしてきた。今回の目玉は《ボヘミアン・ラプソディ》の野外上映。新幹線で東京から福山へ、そこからレンタカーで会場へ向かう。今年はSさんのご友人や大学の元教え子たちと、総勢八人の大所帯。歳も仕事もばらばらの、不思議な面子の旅になった。

 車を降りると、鉄板で何かを焼く威勢のいい音がし、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。会場はほんとうに海のすぐそばの、公民館と廃校になった小学校舎にはさまれたグラウンド。開けた一方にネットが張られていて、その向こうに海が広がっている。潮風が気持ちよく、夕焼けどきは沈む陽がとても綺麗だったりするんだけど、今年はとにかく暑かった。首元ににじむ汗に、着ていたYシャツを五分で断念してTシャツに着替える。クイーンではなく、ビートルズの『アビー・ロード』のジャケットを模したデザインだけど、この際許してもらうしかない。

 イベント自体はもう三年目になるらしい。会場には焼きそばやビールを売る屋台が出ていたり、シーカヤックを漕ぐ、ドローンを飛ばすといった体験ができたり。今年はさらに、廃校舎の一室を使ってドリンクを提供する「スナック校長室」があり、瀬戸内の海を渡る屋形船も出るなど、ずいぶん盛りだくさんで、数少ないスタッフが汗をふきふき準備と対応に走り回っている。映画の知名度からか、例年に較べても会場はにぎわっていて、みんな上映までの時間をめいめいに楽しんでいる。

 ぼく自身は、一般の参加者がクイーンを模した仮装や曲に合わせたパフォーマンスを披露して得点を競うイベントのお手伝いをすることになった。名づけて「ボヘミアン・チャンピオン」。音響のチェックや段取りの確認を済ませ、いよいよ本番というとき、控え室に待機している参加者たちに声をかけに行ったら、二歳の男の子から壮年男性まで、タンクトップのフレディがたくさんいて、なんだかおかしかった。
 コンテストでは、やはりタンクトップ姿とサングラスでステージに上がった十歳の男の子が、見事な熱唱で審査員と観客の心をつかみ、一位を獲得。会場からアンコールを求められて上がった、ウイニングのステージを観たけれど、ステージ裏のまだあどけない表情とは打って変わって、堂々とした、すばらしいステージだった。

 想定以上に参加者が詰めかけたこともあり、山積するハプニングを皆で協力して解決しつつ、イベントをなんとかこなしきって、肌を灼いた陽が沈む。いよいよ、映画上映の時間となった。

 しかし、肝心の映画が始まらない。上映スタッフが慌てている。どうやら、ブレーカーが落ちてしまったらしく、システムがダウンして、復旧するまで上映はできないという。先ほどのステージで司会を務めていた明るい関西弁の男性が、申し訳なさそうにそのことをアナウンスすると、会場に少し倦怠のムードが流れた。帰りの時間もあるのだろう、ちらほら会場を後にする人もいた。

 しばらく、気まずい沈黙が続いた。しかし、復旧にはまだまだ時間がかかりそうだ、ということになり、屋形船の船内でパフォーマンスをするために呼ばれていたシンガーソングライターの男性が、妙にしんとした会場に向けて、電気の落ちてしまった夜闇で辛うじて使えるマイクを通して、Green Dayのステージのようにみんなで歌おう、と呼びかけ、アカペラで「ボヘミアン・ラプソディ」を歌いはじめた。見事な歌唱に、それほど大きくはないが、会場から声が重なった。彼が歌い終えると、温かい拍手が起きた。次はもっと参加しやすい曲を。そう言って彼は「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を歌いはじめた。誰もが知っているリズム。手拍子と歌声は大きくなった。歌い終えた彼は、会場から歌う人を募った。しばらく窺うような沈黙があってから、一人の男性がそれに応えた。マイクに近寄り、薄明かりのなか、「勝手にシンドバッド」。彼の勇気に、みなが喝采を送った。それからも、クイーンに限らず、何人かが思い思いの曲を歌った。ゆずの「夏色」を歌う青年の声があって、「夏祭り」を歌う浴衣姿の女の子の声があった。上手いとか、下手だとか、そういうことはもうあまり関係がなかった。歌詞がわからなくて、ワンコーラスで終わってしまう人もいたけど、会場からはいいぞ、と声がかかり、労いの拍手が送られた。ボヘミアン・チャンピオンもふたたび堂々たる歌唱を披露し、惜しくも敗れてしまった別の少年は、フリースタイルのラップで、トラブルは残念だけど、みんなで楽しい時間にしよう、と呼びかけていた。

 結局、復旧には一時間と少しという時間がかかった。それでも歌声は続いていて、大きな声で不平を言う人はいなかった。司会の男性が待ちわびた復旧を告げると、会場からは大きな拍手が起こった。暗い海に向かって大きく掲げられたスクリーンに映像が投影されると、観客からは響めきが起きた。まるで僕等は、初めて映画を観る子供のように興奮していた。そして、そうやって観るのに、確かにクイーンというバンドの伝説を描いた映画は相応しかった。クライマックスのライブ・エイドの場面では、皆が立ち上がって、手拍子をしたり、「レディオ・ガガ」や「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」を一緒に歌っていた。

 映画は終わった。フレディ・マーキュリーはエイズで死に、音楽が残った。時間も距離も遠く離れた異国の海辺で、その音楽をめぐって、決して整ってはいないかもしれないが美しい、一つの時間が流れた。

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