現代日本政治とソーシャルメディア

○はじめに

 ソーシャルメディアとスマートフォンは生活のあらゆる場面に浸透した。世代を越えて広く利用され、いつでもどこでも情報のやり取りがなされるようになった。また写真や動画、位置情報の機能を利用することで、あらゆる対象を情報化し、送受信することができるようにもなった。

 それに伴って、本書の他の章でも論じられるように、メディアとその力学、ビジネス、人々の生活など多くの分野で大小さまざまな変化が生じている。政治もそのひとつである。政治とIT、ソーシャルメディアというと、たとえば大学生の読者はあまりピンとこないかもしれないが、現実には多くの政治家や政党がさまざまなソーシャルメディアを使って情報発信を行うようになっている。アメリカのように選挙運動と手法に対する規制が乏しい国では新しい技術が登場するとすぐに選挙運動にも活用される。アメリカという超大国のリーダーを決める大統領選挙がその代表例だ。それに対して日本のように選挙運動手法についても制約が多様な国の場合、政治や選挙における新技術の利活用には規制が強く影響する。

 日本の場合、2013年に公職選挙法という選挙運動を規定する法律が改正されたことによって、インターネットを活用した選挙運動が認められるようになった(注1)。この公選法改正によって、後述するようにいくつかの課題を残すものの、選挙運動において政党や政治家たちがソーシャルメディアを相当程度自由に活用することができるようになった。それに伴って、通常の政治活動でもソーシャルメディアを通した情報発信が増加している。現在ではソーシャルメディアが選挙の、そして選挙以外の日常的な政治活動やキャンペーンにおいても重要なツールとして関係者のあいだでは認識されるようになった(注2)。

 本書の若い読者は奇妙に思うかもしれないが、2013年の公選法改正以前は選挙運動期間というもっとも政治に対して関心が高くなる期間になるや否や、政治家たちはソーシャルメディアやホームページの更新を自粛するという事態が生じていた。職業政治家にとって政治は生業でもある。選挙後に選挙無効となる可能性を考慮すると、わざわざ新技術を選挙運動に使う合理的理由が乏しかったのである。

 さまざまな分野におけるソーシャルメディアを含めた新技術に適した規制とその設計の重要性については他の章でも論じられるが、まさに政治についても同様である。ソーシャルメディアの普及に加えて、公職選挙法という制度の改正が行われてはじめて、政治においてソーシャルメディアが活用される土壌が整ったといえる。以来、日本の政党と政治家もビジネスや一般的な生活者から随分遅れるかたちではあるが、選挙運動や日常の政治活動にソーシャルメディアを導入し、情報発信の戦略と戦術を高度化させている。ただし、それはフェイクニュースの流通やプロパガンダの高度化、社会の分断などにも直結し、必ずしも肯定的に捉えられるわけではない。

 本章では、政治に関連して以下のように検討する。まず次節において、政治とソーシャルメディアに関連する政治的主体、ジャーナリズム、ビジネス主体、そして一般の生活者という4つの主体における現状と関係性を図式的に概観する。そのうえで政治とソーシャルメディアの関係を考えるにあたって、シャープパワー(sharp power)という概念とケンブリッジ・アナリティカというイギリスのコンサルティング企業を巡って生じた事例を紹介する。最後にソーシャルメディアを用いた「民意」への介入の影響力の大きさと深刻さ、規制と対策の困難さ、日本における懸念等に言及しながら、ソーシャルメディアと政治、選挙の関係性の今後を展望する。ソーシャルメディアを含めた新技術が登場するたびに「この新技術で政治は改善する」と半ば期待をこめて語られがちだ。だがそう簡単に楽観視できるものでもない。本章を通じて複雑でダイナミックな政治と情報の姿の端緒を垣間見てもらえればと思う。

○せめぎ合う力学――動員とジャーナリズム、ニュービジネスに包囲される生活者

 政治は狭義には価値や資源の配分機能とその体系を意味するが、暫定的に政治に関連するアクターとして、さしあたり政治家や政党等の政治的主体、政治的な出来事を監視し同時にコンテンツにするジャーナリズム、政治に関連する広報やコンサルティング関連の企業といったビジネス主体、そして日常生活を送る生活者という4つの主体を想定してみよう。もちろんそれぞれのカテゴリ内には多様な緊張関係や競合関係が存在するが、ここではいったん全体像を把握するために、それらを捨象してソーシャルメディアの登場による変化についてごく簡潔に言及する。

■ 政治的主体

 政党や政治家はもともと自らの信念や政策を周知し、院内、院外で政治的影響力を獲得し、それらの実現に勤しむことを存在理由とする。彼らにとって新しいメディアは自らの影響力を行使し、新しい動員の機会につなげるための重要な機会である。したがって、利用可能なメディア環境の変化に柔軟に適応を試みる。実際、アメリカやイギリスなど選挙運動手法に制限の乏しい国においては新しいメディアが登場すると、政治も広報の手段として、また政治活動/選挙運動の手法として活用すべくかなり迅速に対応しがちである。

 ただし日本の公職選挙法において、文書図画規制等のように選挙運動の手法を具体的に例示しながら制限する形式を取る場合、政治主体にとって適応のインセンティブは乏しい。新メディアも結局のところ自らの広報や影響力拡大の手法として活用しにくいからである。事実、日本の場合も、2013年の公職選挙法改正に伴うインターネット選挙運動の広範な解禁までは、政治主体によるインターネット利用、ソーシャルメディア利活用は民間企業等と比べてごく低調なものにとどまっていたことは前述したとおりである(注3)。

 政治的主体にとっては新技術の登場と、規制がその利活用を選挙運動、政治活動において認める(あるいは自ずと認められる)ということは情報発信と動員の機会増を意味する。政治的主体は本来、自らの信じる理念とそれを実現する政策を広く周知し、理解と支持を得て、実現のため影響力を拡大する存在だ。また職業としての政治という観点に立つなら、現職政治家たちはその地位を維持するため、挑戦者たちは新たに地位を獲得するため、メディア環境、情報環境に適応しようとするモチベーションは他の主体と比べても相当程度高いものと考えられる。

■ ジャーナリズム

 「第4の権力」などと呼ばれるジャーナリズムは本来権力監視を存在理由としている。近年のメディア環境の変化のなかで、とくにマスメディアに立脚した伝統的ジャーナリズムは世界各国で苦境に立たされている。メディアの重心がマスメディアからインターネットやソーシャルメディアに移るなかで、発行部数等の低下に伴う存在感の低下もさることながら、長い時間をかけて築き上げた社会におけるマスメディアに対する「信頼感」が揺らぎメディアの序列が変動しているのが最近の傾向である。その変動はマスメディアのうえで展開される伝統的ジャーナリズムにも影響しているはずだ。発表媒体の廃刊、ジャーナリスト育成環境の未整備といった問題が顕在化している。

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