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いつかすべての高校生・大学生たちに。始まりの話、その3。独立を決めた日のこと。

高校生それぞれが、"本当にやりたいこと"を見つけること、そしてそれに没頭していくプロセスにおいて"何が大切なのかを探ること"が、プログラムを始める上でいちばん重要でした。

2018年10月1日、学芸大国際の当時の高校1年生120人の前でプログラムを紹介して、A先生と「エントリーしてくれるのは10人くらいですかね」「最低でも8人は参加して欲しいですね」と言っていたのが、いざ募集開始したら50人強もの生徒からエントリーがありました。参加人数が多かったので、当初予定していた、対面のゼミ形式でやりとりするのは1グループ7〜8人×2グループにして、残りの生徒はオンラインでのコミュニケーションだけで進めることにしました。

後の「1on1 college」につながったのは、この後者のコミュニケーションです。やってみると1対複数でのコミュニケーションには限界もあって、1対1のほうがより素晴らしいコミュニケーションができるとわかったので、ゼミ形式で始めたグループも結局は1対1のオンラインコミュニケーションを授業外で始めました。


学芸大国際はこれが実験的なプログラムであることもわかってくれていたので、うまくいった点も難しかった点もすべて正直にお伝えしました。

僕が所属していたチームラボキッズ、アート集団「チームラボ」のビジネス部門で、つくったものを日本中・世界中で広める役割を担っていました。ただ、世界中でデジタルアート関連のプログラムを展開してきた実績はあっても、学生が本当にやりたいことを見つけて価値観やスキルを育み進学や就職までつなげるプログラムにおいて実績があるわけではありません。正直、今考えると反省点は多くあります。

それでも機会をくれた学芸大国際のA先生がいたからこそ1on1 collegeも生まれたし、それがなかったら僕はまだチームラボキッズにいたでしょう。



100万人より目の前の1人


「私はこれまでずっと失敗を避けてきたことがわかった」

10月末にプログラムが始まり、すぐの11月中旬。始めて3週間目でした。本当によく覚えていますが、目の前でとある1人の高校生が変化する瞬間に立ち会えました。

彼ら/彼女らが変化していくことを肌で感じて、本当に感動したわけです。



それとほぼ同時期に、東京・お台場のデジタルアートミュージアム「チームラボボーダレス」が予定をはるかに前倒しして来場者数100万人を突破し、最終的には1年間で来場者数230万人まで行くのですが、これはビジネス的にも社会的にもものすごくインパクトの大きなことでした。

実は、僕は「チームラボボーダレス」に、そのプロジェクト名が決まるはるか以前、具体的に動き始めた当初から携わっていて、2015年5月に入社したその月から、土地探しも、事業計画の作成も、協賛企業探しも、お金の工面も、何もかもプロジェクトマネージャーとしてやってきました。その「チームラボボーダレス」がオープンからたった5ヶ月で来場者数100万人を超えて、それはそれは大きな達成感がありました。

本当に嬉しかった。だけれども僕はその100万人達成より、目の前の高校生1人の変化に立ち会えたことのほうがはるかに嬉しかった。本当にたまたま同時期で。それがわかったその瞬間に、そっちに行こうと思いました。



チームラボキッズに入ったことは大きな成長機会でしたし、自分でもブレイクスルーだったと感じています。すごく野心的になったし、自分に対しても世界に対してもものすごく視界が開けました。なにより世の中にこんなに頭が良くて好奇心旺盛な人たちがいるのか、人として奥深いぞ、と思えるメンバーと一緒に働いけたことは刺激的でした。そういう会社で中心的な役割をやらせてもらえてものすごく感謝しているし、特に「チームラボボーダレス」に関しては、事業規模・かけた時間どちらにおいても、後にも先にもまだない規模のことをやって、それでもその感動を「1人の変化」が超えたということが大きかったのです。僕にとって大切なのはビジネスの規模じゃないんだなと感じました。

それで2018年の年末には家族に独立する意向を伝え、年明けには上長にも話し、事業を移管するかたちで、2019年5月にオトナタチ合同会社を設立しました。


(続く)


※これは、高校生・大学生のパーソナルメンター「1on1 college」がどうやって生まれたか、インタビューしてもらった内容を文字におこしたものです。

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