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熱狂を知ってしまった心と体

確信に近い仮説があります。

要因や程度はいろいろあると思いますが、自分にしても、周りの誰かにしても、ときに停滞してしまうことがあるかもしれません。そのときにある発動条件さえ整えられれば、その停滞を抜け出すことができるのではないかと思っています。
実際に自分の経験と、1on1 collegeでの経験とで、何度も目にしてきています。


発動条件は3つあります。

1つは、過去に何かに熱狂した日々があること
1つは、まだその熱狂を心と体が忘れてないこと
そして、自身が熱狂を望むこと

この3つがあれば、停滞を抜け出せると思っています。
どれも重要で、どれかが欠けても成立しません。


まず、何よりも先に、過去に何かに熱狂した日々があるかどうかです。その「何か」は、今やっていることと同じかどうか/似ているかどうかはまったく関係ありません。ただ1つ重要なのは、熱狂したかどうかであり、その度合いです。


その熱狂を、夢中になり一生懸命だった度合いを、一度到達したことのある自己ベスト(最高熱狂レベル)を、心と体が覚えるんです。

心は、そのときの喜びや達成感、一喜一憂、試行錯誤の苦しさと充実感を記憶します。厳密に言えば、脳が、そのとき分泌されたドーパミンの味を覚えているということなのかもしれません。報酬系という名だけあって、さぞおいしいのでしょう。
そして体は、そのときの緊張や開放感、そして疲労を記憶します。

この感覚を忘れないうちは、その日々がどういう状態なのかは自分がわかってるので、動機づけされやすいんですね。でもこの感覚が忘れられてしまうと、もうそのおいしさも、何もかも全部ないということなので、やっぱり戻ろうという動機が失われることになるんだと思います。


そして最後に、自身が望むこと。あたりまえっちゃあたりまえなんですが、やっぱり周りがどうこう思っても、本人の意思がなければ何も始まりませんし、幸せでもありません。価値観や生き方は常に更新される可能性があると思います。

それでも、逆にいうと、本人さえ望めば戻れるんだと思います。あの日々を一度味わってしまったら、そうじゃない日々が物足りなくなる。こういうことは往々にして起こります。あの日々の感動を再現しようとする力がはたらくのだと思ってます。



改めて。
過去に何かに熱狂した日々がある人は、その熱狂を心と体が忘れないうちは、その後どんなに熱狂できずに停滞した日々が訪れたとしても、自身が望む限り、いつでもかつての熱狂に戻ることができる。そういう確信に近い仮説について話しました。



ちなみに僕は、高校生・大学生向けに「1on1 college」という場所をつくりました。これは、今日話した「過去に何かに熱狂したことがある」という状態を、学生のうちにつくれればいいなと思ったことも大きな動機でした。いわば、自分の中の戻れる場所をつくることなんだと思います。

やらなきゃいけないことが多くなる社会人より、学生時代の方が、何かに熱狂しやすいと思ったんですよ。だから学生向けにやっています。余談でした。


今日もありがとうございました。
でも、もし熱狂した日々がなければ、今日からでもつくれます。絶対に。

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