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登りやすそうな木があると今でも"あっ"と思うことについて。

通りすがり、登りやすそうな木があると「あっ」と思う。あそこに足をかけて、あそこなら座れそうだ、ちょっと届かないかな…なんて。登りもしないのに。でも何となく木登りへの憧れみたいなものがあるのかもしれない。

子どもがいるので、うちの子目線でも考えたりする。同じように、あそこなら届くかな、この景色は気持ちいいんじゃないか、怖がるかな…と。僕とは違って、子どもは登ろうとするから、こっちの想像はいつか役に立つかもしれません。


木登りの魅力は、ざっと、①登るときのアスレチック的なおもしろさと、②登ったあとの達成感と、③いつもと違う景色と、3つくらいでしょうか。

①と②はセットだろうけど、③だけ切り取ると、〇〇ビルや〇〇タワーの展望台と同じ魅力ですよね。すごく高いところから見ることで、あのビルってあんな形なんだとか、あんなところに大きな森があるとか、あそことあそこは意外に近いぞとか、いつも接しているものが違うように見えるのが楽しかったりします。


「いつもと違うように見える」ことって考えると、例えば海外旅行なんかも似ている気がする。行ってるときもそうだし、帰ってきてからの日常が、以前と違って見えたりする。なんでこんなに電車混んでるんだとか、誰とも目合わないなとか、公園小さいなとか。

あと、読書とか勉強とかもこの類に含まれる気がする。何か読んで/学んで、そういうことだったのかとか、そういう考え方があるのかとか知って、その後の生活や人付き合いや仕事の中で、これまで気づかなかったことに気付いたりする。こういう感覚、僕はすごく好きなんですよね。


木登りに話を戻すと、正直、登りやすそうな木を見つけても、汚れるかなとか、大の大人が登ってたらどう見られるかなとか、考えちゃってましたが、入場料がいる展望台や、コロナで行きづらい海外旅行や、時間のかかる読書や勉強と、同じような効果(言い過ぎ?)があると思ったら、次見つけたら登ってみようかなと思いました。子どもが一緒にいるときだと、まだちょっとは恥ずかしくないかな…。

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