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河合隼雄『コンプレックス』を読んで

学者が書いた新書だが、なんだか大事なことを書いてそうだけれども、難しくて理解できない、という様なところも多かった。自分がこれまで抱えてきたコンプレックスとも絡めながら書いていく。


確かこの本を書店で見つけてパラパラと読んでいた時に目についたのが、「コンプレックスは、主体性をおびやかすもの」という文章だ。

「主体性」というのは、俺が昔信仰していた『7つの習慣』のキーワードの一つでもあり、今でもそれなりに、人間にとって必要だと俺が考えているものだ。


『7つの習慣』では、端的に言うと、「主体性を発揮しよう」という内容が書かれていた。それがずっと頭に残りながらも、いまいち発揮できてないことを自分に認めている俺にとって、この主体性を脅かすものとしての、「コンプレックス」という捉え方は、惹きつけられた。


天パ、毛深さ、眉毛が太い、体臭、大小さまざまなコンプレックスを抱えたり、克服したりしてきたが、今一番コンプレックスに感じているのは、アトピーだ。ひどいときは生活に支障が出るほど痒く、それ自体が辛いのはもちろんだが、見た目にも赤くなったり、時には瘡蓋になったりしていて、不潔感があり、恥ずかしい。

病気なのだから仕方ない、とはいっても、それを同世代で理解できる人は、半分もいないんじゃないか、という様な気もするし、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。


コンプレックスを抱えやすい性質なのかもしれない、とも思う。俺は自分のことをやや神経症的であると認識しているが、この本にも、神経症について書かれていた。神経症とコンプレックスというのは、やはり関係があるのだろう。

そして、神経症の人というのは、潜在的に人より優れた能力を持っている可能性が高い、という様なことも書かれていた。それを本人もどこか自覚しているからこそ、自分に対して高い理想を課し、それが実現できない自分に対して、劣等感を感じやすいのだろう。そういうことが、コンプレックスを抱えやすい、ということにもつながっているのではないだろうか。

神経症についても、もっと調査を進めたい。


読み終えて、最後のページの出版年を確認して思い出したことだが、この本は50年以上前に書かれたものだった。著者もかなり老齢だ。

それでも、書いている内容自体を古臭いものに感じることはなかったし、書かれている具体例の中での、人間の心理面の描写は、自分も共感できるものだったり、そうじゃなくてもなんとなく想像できる様なものだったりした。50年前でも、人間の心理の傾向というものは、それほど大きくは変わっていないのだな、ということを感じて興味深かった。


恋愛について色々本を読んで、思索をしていた時にも感じたことだが、同一のテーマについて書かれた本でも、著者によって当然見る角度が違うし、そういう多様な視点を学ぶことで、より大きな、真実を写し出す地図が見えてくるのだと思う。

それはこの「コンプレックス」というテーマについても言えることだと思うし、これは俺自身かなり興味のあるテーマでもあるので、他の著者が書いた本も読んでみたいと思っている。


最後に、この著者の視点はどの様なものであると感じたか、について書くと、中々に人間を見抜く鋭い観察力を持っており、冷静に、それでいてどこか情熱的に、相手を賢い方に導こうとする様な、そんな人だった様に感じた。

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