5/5①「『ビッチ(bitch)』について」
ヒップホップの歌詞でよく聞く単語だ。雌犬、嫌な女、という様な意味があるらしい。この言葉について今思うことを書いていく。
そもそも、ビッチの女なんているのだろうか、という疑念もある。モテない男の、僻みの言葉なのでないかと。
しかし、女同士でも、他の女のことをビッチと罵ったりすることもある様だ。彼女らの間でも、ビッチの女というのは、存在しているということになる。
平井堅と安室奈美恵が一緒に歌っている『グロテスク』という歌に、面白い歌詞があった。
男と女の心理の根底にある、それぞれのドロドロした部分を端的に表現した歌詞だと思う。
女は、嫉妬深いと思う。まさにこの歌詞の通り、他の女のものを欲しがってしまう傾向が、男より強いと思う。ドロボウ猫なんて言葉も、女にしか使われているのを見たことがない。
『僕は愛を証明しようと思う』という本によると、「ビッチなんて存在しない」らしい。それは、非モテの僻みから生まれる幻想であると。
ギャルっぽい子や、攻撃的に見える子ほど、実は繊細で優しかったりするものなのだと。
また、この本では「モテスパイラル現象」というものが提唱されていた。最初にもてるのは困難だが、一度その流れに乗ると、上向きの螺旋の様に半自動的にどんどんモテていく、ということらしい。
この原理の根底にあるのは、さっき書いた「女の嫉妬深さ」なんじゃないか、と思う。
自分の内面がどうか、ということではなく、ただ「他の女と一緒にいるから」という理由で、その男が欲しくなってしまう。
それが循環して、この現象を生み出しているのではないかと思う。
そして、そんな様子を見て、モテない男は、「あの女はビッチだ」と思う。
その理由も、もしかしたら「他の男がモテていて、幸せそうにしている」のが、嫌いだから、なのかもしれない。
だから、女の「嫉妬深さ」という生来の性質を認められない。受容できない。僻み、蔑まないと、やってられない。
ここまで考えてきて、男が「アイツの不幸せが好き」な理由や、女が「あのコのもの欲しがってる」理由が、少し見えてきた気がする。
それは、どちらも「自分を見つめられない」ことに起因しているのではないだろうか。
そんなことを、前に書いた。
ビッチという蔑称は、女に対してだけでなく男に対しても使われたりもするらしい。
ビッチというのは表面的には、「性的にふしだらで奔放」という意味で用いられることが多いだろうが、もっと根本的なところで言うと、「自分を持っていない」人間のことを、言うのではないだろうか、と思った。
【問いで遊ぶ】
・「ビッチだと思う女」と交際することでしか、男は「ビッチへの幻想」は克服できないか?
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