見出し画像

大学を辞めたことについて

あんまり思い出したくも、考えたくもないことだが、まとめておかないことには、人に説明したりできないので、書いていく。


一浪の末大学受験に失敗した俺は地元のFラン大学の文系学部に進学したが、そこでもうまくいかず、色々あって中退した。


大きな理由は、授業に出られなかったことだと思う。確か二年生の中盤ぐらいまでは、コロナの影響でリモート授業ばかりだった。俺はその時点で、授業を視聴できなかったり、課題が出せなかったりして、取れない単位が多数あった。

やがてコロナ禍が終焉に向かい、対面授業が始まった。大学は原付で通える距離にあったし、人と関わる機会も増えるので、こちらの方がきちんと単位が取れるのではないかと期待したが、それもダメだった。最初のうちは通えたりしたが、やがてだるくなってサボりがちになった。


授業をきちんと受けられなかった原因についても、いくつか思い当たる。

まずやはり、授業そのものがつまらないということだろう。一定の知識や教養、頭の柔らかさがある人なら、専門家の教授の話も楽しめるのだろうが、当時の俺にそれほどの能はなかったということなんだと思う。

それと、友達がいなかった、というのも小さくないと思う。大学は友達と肩を並べて授業を受けている学生が多かったが、俺にはそういうふうに誘える友達がいなかった。校内で、仲間連れの友達と遭遇したりすると、なんとも言えない劣等感を感じたりした。


「速く行きたければ一人で行け。遠くまで行きたければ皆んなで行け」という格言が、もう何年も心に残っている。俺はこの、一人の方、をやっているのだと思う。もっと他の人と協力して何かをなすという事を、どこかで学ぶ必要があるのだろう。


学費は親に全額出してもらっていた。浪人時代の予備校代なんかも含めると、四百万円ぐらいを、「学歴」という面で見ると無駄にした。申し訳ないと思うが、だからといって親の期待通りに生きようとは思わない。中退したことについて、親に謝ることすら出来ていない。


就職をしたことがなく、バイトもずっとウーバーイーツの配達員だけやっているので、一般的な仕事の社会を俺はよく知らないのかもしれない。

大学を辞めた俺は、高卒だ。高卒と大卒では、やはり今後の扱われ方というものに少なくない違いがあるのだろう、ということはなんとなく感じている。

自分よりも、人格や能力の低い大卒の人間に、高卒の俺は、金のために従わなければならない、という場面が、低学歴の典型的な惨めな状況として想像される。やっぱり、そんなふうになりたくない、という気持ちはある。


じゃあやはり、一般的なサラリーマン的な働き方は、諦めたほうがいいのだろうか。そもそも、大学の単位すらきちんと取れない俺に、サラリーマンなど務まるのか、という疑念もある。



今年度で二十四歳になるというのに、今後の働き方の展望がまるで見えない。それでいいのだろうか。いや、やっぱりそれはまずいのだろうか。それもよくわからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?